2006年10月

石原都知事がフランス語を侮辱したことで、裁判が続いている。
当初は報道されていたが、最近は何も聞かなくなった。

石原都知事のフランス語発言に抗議する会」 のHPは次のとおり。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mcpmt/toppagejp.html

裁判の趣旨に私も賛同して、この会に裁判費用として5千円を寄付した。

10月27日に第8回口頭弁論が行われ、その報告も掲載されている。
以下に引用したように、都知事側はこの裁判を、かく乱しようとしているようだ。

この裁判は、石原知事「個人」に対して起こしています。

この点については、第2回目の裁判で、裁判長から被告に
「東京都知事であるが、これは都の代表者としての発言か、個人的な発言ということで良いのか?」
との質問がありました。


被告は3回目の2月3日の裁判で、「これは個人としての発言である」と明言し、
書面でも「都政とは全く関係のない事柄で個人的発言」と明記していました。

ところが、それから9ヶ月近くたった今回の裁判で、突然
「公務員たる都知事としての職務を行うにあたってなされたもの」と、主張を「訂正」してきました。

「都知事としての発言」ということになると、訴訟は東京都に対する「国家賠償訴訟」となり、
賠償金や謝罪広告の費用は、都民の税金から支払われるということになります。
訴訟は「出し直し」をしなければなりません。

裁判長からは、「こんなことがないようにと(訴訟が進んでからこんなことを言い出すと、
手続が無駄になるので)、最初の段階で念を押したのです。それなのに、前の主張を撤回するのですか」と
半ばあきれながら念を押しましたが、被告は訂正するとのこと。]


公式の場での発言だったので、個人の発言なのか、都知事としての発言なのか、
裁判の初期に裁判長が確認したことは意味があることだ。

都知事としての発言ならば、オリンピック招致にも逆効果だと思うが、
国際都市東京の代表として配慮するよりも、自分のことが一番というわけか。

他にもいろいろな暴言があり、記者会見を見ても、記者を威圧するような言動だし、
こんな下品な男を選んだ都民は、一体どこに魅力を感じて投票したのだろうか。

こんな人を 「文化人」 扱いするのは、パロディか何かなのだろうか。

この裁判の行方を、今後も見守りたい。

10月19日の記事で少々古いが、日本で報道された記憶のないニュースを紹介したい。

いくつかのブログで紹介されてはいたが、「汚染最悪地域2006・世界トップ10」 だ。

アメリカの環境団体 The Blacksmith Institute が発表したリストは次のとおり。
http://www.blacksmithinstitute.org/ten.php


このニュースに気づいたのは、残念ながら日本のメディアではない。
ドイツの雑誌のHPで、水銀汚染の記事を検索していて、偶然見つけた。

Spiegel 誌の記事は次のとおり。
http://www.spiegel.de/wissenschaft/erde/0,1518,443567,00.html

Stern 誌の記事は次のとおり。
http://www.stern.de/wissenschaft/natur/574473.html


ヨーロッパのメディアとしては、チェルノブイリが1位であることだけではなく、
ロシアも地理的に近いので、非常に気にしているようだ。

ヨーロッパの秋はキノコの季節だが、チェルノブイリ由来の放射性物質が未だに検出され、
妊婦や子どもはキノコを食べないようにと、新聞に載ることもあるくらい敏感だ。

ただし注意すべき点として、この環境団体が調査・支援している国から選ばれているので、
もし日本や北米、西ヨーロッパにひどい汚染地域があっても、候補にはなっていない。


日本のそばはないのかと思ったら、日本海に面したロシア沿海州の街が第10位だ。

この時期は北朝鮮核実験問題と、ディープインパクトが話題で、環境問題は無視されたようだ。

その街とは、隣接したルドナヤ・プリスタニダルネゴルスクで、北海道からほぼ真西にある。

ここには鉛鉱山があり、周囲の土壌や水の汚染は、基準値をはるかに超えている。
水や食料からだけでなく、鉛を含んだ埃を吸い込むことでも、人体は鉛被爆をする。

就学前児童の血中鉛濃度は、アメリカでの最大許容値の8倍から20倍だったという。
鉛の他にカドミウム、水銀、アンチモンの汚染で、住民9万人の健康が危険にさらされている。

鉱山と精錬所は閉鎖されたが、汚染除去の計画は未定である。
鉱山跡からは鉛を含む汚染水が、毎日 2,900 m3 も流れ出している。


日本の対岸だが、日本まで汚染はやってこないと考えているのだろうか。
日本海の魚介類を分析したという話は聞かないが、すしが好きな国民なのに、のんびりしすぎだ。

六ヶ所村で放射性物質を放出しているくらいだから、隣国の鉛くらいでは驚かないわけだ。

もしかすると、海に流せば、何でも薄まって安全になるとでも考えているのか。

日本はクジラやマグロなど、水産物主体の食文化も世界にアピールしているのに、
環境問題に本気で取り組もうとしているのか、どうしても疑問に思ってしまう。



ダルネゴルスクで検索すると、特産品として水晶が有名だそうだ。
ここの鉱床では多種多様な鉱物が採れるそうで、天然石の店でも紹介されている。

ダルネゴルスクなどの汚染地域で産出した鉱物を販売するのであれば、
売上の5%を環境団体に寄付してはどうだろうか。

購入した人も、間接的に貢献できるのであれば、気持ちも変わるかもしれない。
仕事を休んで、ロシアに援助活動をしに行くのは困難なので、寄付も選択肢の一つだ。

(最終チェック・修正日 2006年10月31日)

進学校の学生が、未履修である世界史の補習に対して、
「受験に関係ない科目の勉強はしたくない。」 と言っていた。

街頭インタビューでも、「社会に出ても世界史の知識は使わない。」 と冷たい反応。

この 「得にならない、実用性がない勉強はムダ」 という短絡的考え方は恐ろしい。
(必要なことも学ばない、あるいは理解できない者のことは、今回は扱わない。)

進学校の学生はエリートと呼ばれるのだろうが、こんな考えではエリートではない。


日本の大学は明治期に、国家の近代化を担う官僚を養成するための教育機関だった。
東大法学部がよい例だが、卒業時の成績順に、どの省で勤務するのかが決まった。

失業した武士の子弟は、元々支配階層・行政執行階層だから、官僚を目指しても不思議ではない。
勉強して東大に入学すれば、国家公務員への道は、ほぼ約束されたようなものだった。

官僚養成を否定し、本当の学問を修めるために設立した京都大学は、
「公務員試験に合格したい」 という学生の要請に、いつの間にか屈してしまった。

私立大学の前身は、東大に入れなかった者が公務員試験を受けるための塾、と呼ばれても仕方ない。

帝大以外の者に公務員試験の受験資格を与える前提条件として、
「入学試験であらかじめ選抜を行うこと」 が政府から提示された。

加えて、授業料を徴収することで、貧困層が大挙して大学に押し寄せることを防いだ。

だから入試と授業料の問題は、明治時代まで遡って議論しなければならない。

少々一方的な見方だが、公務員という安定した職に就くために大学に入学を希望したのであり、
本当の学問・教養を身に付けたエリートの養成というのは、建前だけだったとも言える。



私は旧帝大出身だが、「研究第一主義」 という設立理念で大学を選んだ。
校長は、「浪人すれば東大も可能」 と親に言ったが、官僚養成大学に行くつもりはなかった。
本当は防衛大が第一志望だったが、落ちたので国立一本で受験に望んだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/marburg_aromatics_chem/19797335.html

ただし小学生の頃から試験が嫌いで、試験対策を意識した勉強を否定してきた。
高校入試の前日も部活動をしていたくらいだ。

だからなのか高校3年になってから中国語とドイツ語を勉強したり、漢文ばかり勉強したり、
試験対策ばかりの数学を勉強しなくなり、短波ラジオで英語放送を聴くようになった。

私は単なる変人で、エリートでもないが、旧制中学時代の話を聞いていたので影響された。
リーダーとなるべき人材は、幅広い教養が求められると信じていた。

だから受験科目以外を勉強しない者は、エリートと呼ばれてはならないし、
教養のない者が、地位が高く、責任が重い仕事に就いてもいけないと思う。

ヨーロッパを規範に近代日本の制度を作ったはずだが、日本の事情に合わせたためか、
エリートとは呼べない大学卒業者を大量生産しているだけだ。

何もヨーロッパのエリートのように、ラテン語を話す必要はないし、
シェイクスピアの作品やニーチェを引用することもないが、
日本文化に関連する漢文や和歌・俳句などを理解し、書道などの芸術も体験するべきだろう。


最後に自慢と言われるかもしれないが、国立大付属中3年の国語での質問を書いておく。
古典の時間に、百人一首にもある次の和歌を勉強した。

人はいさ 心もしらずふるさとは 花ぞ昔の香ににほひける」 紀貫之
(人の心はどうだかわからないが、懐かしいこの里では昔と変わらず、
梅の花だけがこのように咲き匂っている)

現代語訳を聞いた後、私は劉庭芝(劉希夷)の漢詩 「代悲白頭翁」 の一部を引用して質問した。

 年年歳歳花相似 (年年歳歳 花相い似たり)
 歳歳年年人不同 (歳歳年年 人同じからずや)

「『毎年花は同じように咲くが、それを見る人は年々変わってしまう』 という意味ですが、
紀貫之がこの漢詩を知っていて、この一節に影響されて詠んだとは考えられませんか。」 と。

高校でも教えた経験のあるその教師は、この漢詩を知らなかった。

ただ、紀貫之の方が200年以上後であり、漢詩の素養もあったはずだから、
似たような題材の和歌を詠んだという可能性は否定できないとのこと。

国際化での英語・世界史と同様に、古典の素養もエリートには必要ではないかと思う。


追記:
和歌の検索を続けると、私の仮説を支持する、次のブログ記事を見つけた。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/29952/2308732#2308732

研究者の方なのかどうかわからないが、25年間の謎が解けてよかった。


更に、次の講演にも出てくるので、どこかに研究成果が公開されているのだろう。
http://www.zeroemission.co.jp/B-LIFE/SFC/speech03/sp0305.html

他にもあった。
http://shirayuki.saiin.net/~sourenki/ao/isshu/100_05.htm

岩波新書の新刊で、中野麻美著 「労働ダンピング」 を購入した。

弁護士の著者は、NPO派遣労働ネットワーク理事長だから、名前を聞いたこともあるだろう。
http://www.union-net.or.jp/haken/


内容は次のとおり。

第1章 いま何が起きているのか
1 「雇用の融解」がはじまった
2 労働ダンピング
3 なぜ労働の商品化がすすむのか 
 
第2章 ダンピングの構造
1 非正規雇用化
2 競争と格差
3 値崩れの連鎖
4 拡大していく貧富の格差
 
第3章 労働は商品ではない
1 労働のルール
2 規制緩和が非正規雇用を襲う
3 働き方が変わる
4 正規雇用の融解を促進させるもの
 
第4章 隠された差別を可視化する
1 格差問題へのアプローチ
2 性差別禁止からのアプローチ
3 非正規雇用の均等待遇保障
4 持続可能な雇用システム
 
第5章 現実の壁に向かって
1 ダンピング最前線に立つ公共セクター
2 安定した雇用を実現する
3 非正規雇用に正義を
4 正規雇用にディーセント・ワークを
5 契約形態を乗り越えて


労働者派遣業とは、元々職業安定法では違法とされていた労働者供給事業の一部を、
労働者の権利と生活が守られるという前提で、「労働者派遣法」 施行で合法化したものだ。

しかし、派遣労働者を商品として取引する契約という面は否定できず、
労働者側は常に不安定だが、派遣先の都合に合わせた 「使い勝手のよい」 契約だ。

規制緩和と競争激化により、「コスト削減のため」 という経営側の都合で、
正社員が次々に、派遣・パートなどの非正規雇用に置き換えられている。

労働者の収入は激減し、最低賃金に満たない事例も出てきた。

時給ダウンを受け入れないと契約を更新しないと言われたり、
「残業は本人の能力不足」 と、時間外割り増しを払わないなど、使用者と対等にはなれない。

生活できない賃金、健康が維持できない賃金まで落とされ、「労働ダンピング」 と呼ばれる。

公共事業の競争入札でも、落札価格の下落と共に、労働者の賃金は低下している。
税金の節約は評価できても、落札業者が自治体からもらう金に上乗せして給与を払うわけがない。

本書では主にEU諸国の例を挙げて、日本の労働モデルを提唱しようとしてもいる。

日本は、外国(白人が主体の国)のまねをするのが好きなのに、労働者の保護は例外のようだ。


私の研究職派遣は時給が高い方だが、それでも正社員とは年収で100万円以上の差はあった。
それに契約を更新しても、時給が上がる可能性は低く、モチベーションは上がらない。

元々私は 「研究者の流動化」 に賛成で、各地を渡り歩くのが活性化につながると信じていた。
派遣労働も 「雇用の流動化」 を促進すると信じたが、どちらも生活を不安定にしただけだった。

ポジティブな意味で、あえて不安定な職を選んでも、たった一人の行動で日本が変わるわけでもない。
「博士で留学歴もあるのに、派遣なんかやってるかわいそうな人」 と言われておしまいだ。

いったい日本は、どんな社会を目指しているのだろうか。
20年もしたら、どこかに難民として移住することになるだろうか。

10月で嘱託として直接雇用になった。
正社員との違いで一番大きいのは、退職金がないことだ。

親会社の正社員には退職金の他に、確定拠出年金(企業型)がある。
厚生年金基金に相当する上乗せ部分だ。

子会社の正社員は厚生年金までなので、確定拠出年金を捨ててまで、
子会社に転籍する人は少なく、出向が主体である。

いつ嘱託を正社員に移行するのか、年金を子会社でも同じレベルにするのか、
労働組合での合意も必要なことなので、話はなかなか先に進まない。

あと20年間、定年まで嘱託のままという可能性もある。
それに年金受給開始年齢が65歳だから、60歳からの5年間の生活費を確保しなければならない。

「財形年金貯蓄」 という制度もあるが、利率が低すぎて魅力的とは言えない。
(残高に対して期末に 1.5% 分の補助が追加されるので、少しはましだろうか。)

そこで 「確定拠出年金(個人型)」 を再開する予定である。


最初の派遣社員の時期、この年金制度の導入に合わせて2002年10月に開始し、
2005年3月までの間に 432,000 円を拠出した。

正社員として転職したとき、その会社には確定拠出年金ではない企業年金があったため、
確定拠出年金の資産を移管することはできず、解約することとなった。

失業により派遣社員に戻ったが、借金もしたので余裕がなく、再開できなかった。
今の嘱託の給与は派遣社員と大差ないが、来年からボーナスが出るので、投資資金は確保できる。

これから申し込んで、来年1月から月 18,000 円を拠出することは可能だろう。

少ない金額だが、20年間で400万円近くになる。
うまく運用して500万円になるだろうか。

これで5年間暮らすことはできないが、ゼロよりはましだ。

それに拠出金は社会保険料控除の対象で、所得税が約1万円は還付される。
年金型の生命保険は5万円が上限なので、確定拠出年金の方が有利だ。

加えて、親会社と年金制度を統合すれば、それまでの資産を移管できる。

親会社が契約している生命保険会社に資料請求をした。
後は総務の年金担当者に問い合わせをして、実行に移すことになりそうだ。

(最終チェック・修正日 2006年11月02日)

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