2005年07月

ある老舗の書店が新装開店したので寄ってみた。

設置された端末で探している本を検索すると、書棚の位置は "J-1" などと
アルファベットで始まる記号で示された。

アルファベットの知識があれば、FやNの書棚の位置は、
どのあたりか順番から見当はつくのだろう。

もっと順番がわかりやすくなるように、"1-1" という
数字のみの組み合わせではいけないのだろうか。

英語のアルファベットならば、その書店を訪れる日本人は
誰でも知っているという前提なのだろうか。


また、店内配置の案内板には現在地が、"You Are Here!" と英語で出ていた。
洋書を扱う階ではなく、日本語の本だけが置いてあっても英語での案内だった。


この案内板について問い合わせたところ、特別な理由はなく、
単にデザイン上の理由で英語表記としたとのことであった。

英語表記を容易に理解できる客層に合わせたわけでもなく、
日本語を知らない旅行者が多いというわけでもなく、デザイナーの好みなのだ。

今は「現在地」というシールを並べて貼ってあるが、
デザイン上の観点から、実施までに数ヶ月を要したそうだ。


他にも空港の売店でもないのに、"Cashier" や "Information" などとわざわざ英語表記をしている。
会計をしているのは見ればわかるので、この表記もデザイン上の理由であった。

書体や色はデザインの一部だろうが、「英単語自体がデザイン」 というのは理解できなかった。
単なるデザインだと言うならば、別にドイツ語でもロシア語でも、タイ語でもいいわけだ。


いっそのこと、SFの棚ならばクリンゴン文字を使ってはどうか。

では日本語表記はどうかというと、
専門書の 「化学工学」 の場所が 「科学工学」 となっていた。


口頭で正しく伝えるためには、いつも 「ばけがく」 とか、
「のぎへんのかがく」 などと言って意識しているはずだが、
案内は「デザイン」だから伝わらなくても気にしないというわけだ。


もしデザインではなくて、外国人向けに英語表記をしたいと思っても、
日本国内では日本語のみでかまわないのではないか。

留学や仕事で日本国内で生活している外国人は、日本語を理解する努力をすればいいし、
わからないことがあれば、周りの日本人がやさしい日本語で説明してあげればいいのではないか。


英語がデザインの一部という話はつづく。

(最終チェック・修正日 2005年11月26日)

小学校から英語教育が始まるわけだが、本当に文部科学省と政府は、
日本国内での日常生活で英語を使わせたいのだろうか。

身の回りには外国語表記が多数みられ、日本人ばかりなのに、
わざわざ看板や案内板に英語でのみ表記していることもある。



カタカナ表記であっても、外来語として日本語に定着しているとは思えない言葉もある。
外国語の単語を無理にカタカナ表記をして取り込み、日本語としてはぎこちない案内や広告もある。
外国語を入れておけば、なんとなくかっこいいという、単なる気分の問題だ。



別に日本人だけが外国語をファッションのように感じているわけではない。
ドイツ人だって若い世代は、わざと英単語を混ぜて使うこともある。
ただ、知的な階層の人間にとっては、外国語をわざとらしく混ぜて使うことは恥ずかしいことだ。

これから何回かに分けて、主観的で一方的ではあるが、今まで疑問に思った表記や外国語を学ぶ人の態度などを書いてみたい。

次回は、ある書店の案内板の表記について。


参考文献
(1) 鈴木孝夫、「英語はいらない!?」、PHP新書 (2001)
(2) 大津由紀雄、鳥飼玖美子、「小学校でなぜ英語? -学校英語教育を考える-」、岩波ブックレット (2002)
(3) 薬師院仁志、「英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想」、光文社新書 (2005)
(4) 山田雄一、「日本の英語教育」、岩波新書 (2005)

(最終チェック・修正日 2005年11月26日)

就職・転職の採用条件で、語学能力に関する項目が明記されていることがある。
研究職であれば、例えば 「英語の論文が正しく読めること」 など。
実験を再現するときに、英語論文の実験の部を正しく理解しなければならないからだ。

外資系や貿易関係、英文抄録の作成など、明らかに英語が必要な仕事であれば、
「英検準1級以上」 とか、「TOEIC730以上」などと指定されている。

「グローバル企業」と豪語する企業では、日本人だけの職場なのに、
なぜか研究職でも 「TOEIC800以上」 という指定があった。


英語能力が高い研究者を採用して、将来は海外支店や研究・生産拠点に赴任させようと
いうのだろうか。

英語能力や海外赴任が必要なポストができたときに、改めて募集すればいいと思うが。
どこの国に行くのかもわからないのに、外国語として英語だけを指定するとは、
本当に「グローバル企業」なのだろうか。


私はドイツ留学中に英語をあまり使っていなかったので、
客観的基準がほしくてTOEICを受験してみた。

最初は770であったが、試験方法に慣れた二回目の受験では830のスコアだった。

ただ、このスコアでも転職が有利になることもなく、
英語を勉強する意欲も減退したので、もう6年も受験していない。

参考書にもあるように受験テクニックである程度スコアは伸びることに加えて、
スコアそのものに異常なこだわりを持つ嫌な人に会ったことも、
受験しなくなった理由である。

TOEICスコアがいつも900を超えていることを自慢していたその嫌味な社員は、
インドの出張で取引先にだまされて、技術が未熟なその会社と契約をして損害を出した。


間違えては困るのが、「仕事ができる人が英語もできると素晴らしい」 のであって、
「英語ができれば能力を認められ尊敬される」のではない。


また、学歴コンプレックスのためか、「英語ができれば立場が逆転できる」 と
先入観なのか信じて疑わない人もいる。

研究で成果が出ない人が、単に英語ができるからという理由だけで、
マネジメント能力も問われる主任研究員になれるわけがない。

英語が得意ならば、翻訳サービスの会社などの適職に転職すべきだろう。



海外からの情報の多くは英語のため、英語能力が高い方が確かに仕事がはかどるであろう。
ただ、そのこととTOEICスコアを採用条件とすることが、どういった理由で直結するのだうろか。
英語ができると偉くなったように錯覚する人たちの、単なる英語至上主義、英語教ではないか。

その反面、管理職試験の一部としてTOEICを導入した旧財閥系メーカーでは、
不合格者が出ないように450という低い水準を設定した。
これは2時間座って受験することでの、「忍耐力がある」という証明だけではないか。

TOEICテストで社員に何を期待しているのか、きちんと説明できる会社はあるのだろうか。
社内公用語を英語にする会社もあるが、そんなに日本語よりも英語の方が大切なのだろうか。

英語ばかり取り上げられるので、ドイツ語派の私はいつも少数反対の立場である。

(最終チェック・修正日 2005年11月26日)

今日は台風のため、転職コンサルタントとの面談は別の日程に変更した。

自宅のテレビで台風情報を見ていると、問い合わせをした人事の返事が来た。

「大卒程度を想定しているので、○○様ではオーバースペックとなります。」 とのこと。

採用条件の学歴のところには「大卒以上」とあったが、「博士」は含まれないのか。
博士は想定外ならば、「大卒または修士卒」 としてほしい。

岩波同時代ライブラリーに、R.ドーア著 「学歴社会 新しい文明病」 がある。

その中に、「学歴インフレ」 という言葉が出てくる。

例としてタクシー運転手の話が出ていた。
今まで高卒までが対象だったのに、あるタクシー会社が大卒を採用条件とした。
「外国人も多く訪ねる観光地なので、英会話ができる人材を希望。」 というのが理由のようだ。

サッカーワールドカップのときにも、タクシー運転手向けの英会話教室があったようだが、
英会話能力は大卒でないと期待できないのだろうか。
大学を出たのだから、英会話の勉強を苦にせずこなすだろうと、潜在能力を期待しているのだろうか。

今まで高卒でかまわないと思われていた職業が、大卒によって占められるようになり、
しだいに「学歴インフレ」の状態となる。

研究職でも、大卒では即戦力になりにくいから、できれば修士卒に来てほしいということで、
この場合でも「学歴インフレ」が進む。

日本では学歴による階層化・階級化がそれほど明確ではないので、
大卒を想定した仕事に博士が応募してしまうこともあるのだろう。


欧米での採用では学会誌の広告を見ても、博士と大卒では仕事の中身がまったく違う。
それに、「博士だからこんな仕事はしたくない。」 などと言って、卒業を遅らせたり、
就職しようとしないドイツ人を何人も見た。
留学していた1997年に、ドイツの化学研究者の失業者は5000人以上であったが、
自分のレベルに合わない仕事はしないという意識も失業率を高めているのだろう。


生活のためには再就職しなければならないが、私が応募することで、
大卒や修士卒の人が就職する機会を奪うことになるだろうか。
そして「学歴インフレ」が進むのだろうか。

「できるだけ能力が高い人材を確保したい。」という企業側の要望もあるだろうが、
「この仕事は大卒のみ」と、はっきり示すことも必要ではないだろうか。


(最終チェック・修正日 2005年11月26日)

転職が失敗に終わったその日、転職前に登録していた派遣会社に再登録した。
私は有機合成を続けることが希望であり、雇用形態にはこだわっていない。


いろいろと紹介されても、書面審査で断られたり、
事前面談をしたのに不採用だったりと、そう簡単に就業先が決まるものでもない。

先方から面談をしたいと返事がきても、就業には転居を伴うため、即答ができない状況である。

今日は国立研究機関(今は独立行政法人ですね)より、派遣契約での勤務を打診された。
通勤時間は約1時間とそれほど苦痛でもなく、時給も交渉次第で上がりそうなので、
現時点では優先している人事である。

海外留学や民間企業の経験が、他の研究員や学生の参考になれば幸いである。
ドイツ語文献が読めるので、その点でも私の利用価値はあるだろう。


予算やテーマの都合で何年働けるか不明だが、有機合成化学者のキャリアを続けることで、
次の仕事につながると信じることにしよう。

(最終チェック・修正日 2005年11月26日)

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