2006年03月

回復の見込みのない患者について、人工呼吸器を外した「事件・疑惑?」が注目されている。

たまたま時期が重なっただけのようだが、尊厳死法案化の会合が開かれた。
大臣の指令によって会合しているということは、ほぼ法案化は決まったようなものだ。
あとは与党内合意を経て、国民が知らないうちに可決するのだ。

「日本尊厳死協会」のHPは次のリンク。
http://www.songenshi-kyokai.com/

立場が反対の、「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」のHPは次のリンク。
http://soshisuru.fc2web.com/

「尊厳死」の場合、本人の意思であらかじめ遺書にでも書くのだろうか。
または手術前に、もしもの場合についての処置について、契約書を作るのだろうか。
そういった文書の有効性や、偽造を防ぐ手段・手続きなど、法案化は困難な作業だ。


私の基本的意見とは、他人の権利を侵さない限りにおいては、
本人の意思による自由な選択肢が増えることを望んでいる。

脳死による臓器ドナーとなることを望む人たちがいるのも事実で、
また、臓器移植しか治療方法がない患者がいるのも事実であり、
その人たちの幸福追求の権利を他人が侵害することはできない。

健全な精神状態の時点で、将来の死に方を主体的に決めたい人もいるだろうから、
少数派であっても、その意思を尊重して、法的根拠を与えるのも一つの考えだ。


「自分らしい死に方」と言っても、自殺・死刑・殺人・中絶・脳死判定など、
死に関するニュースが毎日流れていて、どうしても気分は暗くなる。

ドナーとして参加した骨髄バンクの会合では、生きることをあきらめない患者の姿に接したが、
世の中には逆に、どのように死ぬのかを優先したい人が同時に存在するのだ。

多様性を認める社会を私は望んではいるものの、立場が正反対の勢力同士が、
互いを攻撃しあって、結果的に何も進展しない停滞を生むのであれば悲しい。


父方の祖父は、結核性脊髄炎で寝たきりとなり、やがて人工呼吸器で延命するようになった。
回復の見込みがないことが説明され、親戚が集まって、人工呼吸器をはずすことにした。

親戚の狙いは、「尊厳死・安楽死」で苦痛を和らげることではなく、遺産相続だったと疑われた。
祖父の葬式直後から、父と相続で何度も話し合いがあり、何年間も、もめ続けた。
このように、「尊厳死・安楽死」を隠れ蓑にした、相続狙いの殺人も危惧される。


父はガンが何箇所も転移してモルヒネを使っていたが、「尊厳死」は選択しなかった。
心肺停止の数時間前まで意識があり、母と短い会話をしていた。
相続問題が解決しない限り、死ねないと思っていたのだろう。
入院中も、遺産の分割試案を書いていたから。

遺言にはなかったが、父の生き方を尊重して延命措置をせず、角膜をアイバンクに提供した。
推進派・反対派から見れば、これも「尊厳死・安楽死」に相当するのだろうか。

私はそのときドイツにいたが、帰国後に角膜提供の話を聞き、
父の体の一部がどこかで生きていることで、少し落ち着くことができた。

しかし、親戚は、嫁が勝手に遺体を傷つけたと非難した。
死後6時間以内に採取する必要があり、親戚の同意など確認する暇はなかったのに。

ここでも本人の提供意思や延命措置の拒否などが、遺言など文書で明示されていれば、
親戚とこんなにもめることもなかっただろう。


法律やガイドラインを作るのはかまわないが、尊厳死の後に、
家族・親戚が不幸にならないように配慮してほしいものだ。

(最終チェック・修正日 2006年03月30日)

既に決まっていたようなものだが、小学校での英語教育を2年後にも必修にするそうだ。

中央教育審議会の報告の段階であるが、文部科学省の官僚が作文をしているので、
文部科学省の思惑通りに報告書はまとめられ、そして予定通りに事を運ぶのだ。

「英語が使える日本人」 の育成のために必修にするようだが、英語嫌いを増やすだけだろう。
文法も発音も中途半端で、それに必要な日本語表現すらできない子どもを増やすだけではないか。

英語に限定しているのも気に入らない。
必修ではない現在は、「国際理解教育」の一例として、「例えば英語など」と書いているに過ぎない。
しかし、ここから急に、「国際理解教育=英語学習」 に飛躍するのはなぜだろうか。


小学校段階で言葉に対する関心を持たせるのならば、外来語・カタカナ語の語源調べを提案したい。
英語を日常生活で使おうと無理するよりは、日本語表現の中にある外来語の方が重要ではないか。

そうすれば、オランダ語やドイツ語由来の外来語も多いことに気づき、
外来語=英語由来 という誤解を解消することもできるだろう。

それに漢語を使わずに、大和言葉だけで表現することの困難さを教えるのもよいと思う。
そうして言葉への感性と興味を育てる方が、中学・高校段階での発展が期待できるだろう。


「ゆとり教育」で失敗し、そして誰も責任を取らない文部科学省が、
英語教育だけは完璧なカリキュラムを用意するとは思えない。


英語関連図書や教材が売れるだろうし、子ども英会話教室も繁盛するだろう。
通信教育や学習塾の会社は、このチャンスをものにして、株価も上がるだろう。
子どもを犠牲にして、大人たちは金儲けをするわけだ。
ひどい話だ。

「英語タウン」というHPに、「びっくり英語大賞」 というコーナーがある。

http://www.eigotown.com/bikkuri/2003.shtml
http://www.eigotown.com/bikkuri/2005.shtml

英語だけなのは少々不満だが、英語表記に出会う確率の方が高いからしかたない。
私が出会う表示は限られているため、日本国内の変な英語表示を集めていて良い資料となる。

英単語が並んでいれば、外見上は英語に見えるわけだが、解説を読むと驚くものばかりだ。
単語数が少ないから翻訳者に頼まずに、英語ができそうな社員に無理やりやらせたのか。

翻訳者に頼む料金を節約したかったのか、それとも頼んだとしても、
翻訳会社がネイティブ・チェックをしなかったのが原因なのか。

本当に英語だけを理解する人に知らせたいのならば、もっと注意深くなるべきだ。
結局のところ、意味が何も伝わらないのだから、まったく無駄で無意味な表示だ。


10年以上前のことなので、今回の「びっくり英語大賞」には載っていないが、
ある大手ガス会社のキャッチ・フレーズが、ある番組で取り上げられた。

ガス会社ということで、"My Life, My Gas" だったが、アメリカ人記者が驚いていた。
なにしろ意味が、「私の生活、私のおなら」 だからだ。

辞書で "gas" を調べれば、「気体、ガス」 の他に、「おなら」 とある。
日本語を非母国語である英語に翻訳する場合、"My Gas" という表現が何を指し、
どのような状況で使われるのか、知識だけではなく経験でも知っている人材が必要だ。

基礎的な単語と言われるほど、多様な意味に用いられることが多く、注意が必要という例だ。
誰が決めたのか知らないが、単純な表現でも、きちんと調べることは大切だ。
高等教育を受けたネイティブ・スピーカーによるチェックを受けることも必要だ。


私もこれからはよく注意して、応募できるような事例を見つけたいものだ。

警察庁は、信号無視や歩行者に対する危険走行などを取り締まるため、
悪質違反を繰り返す運転者に、赤切符による刑事罰を与える方針を通達することにした。


http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060326AT1G2400D25032006.html


自転車が関連した交通事故を減らすために、これまでも取り締まり強化を求める声は多かった。
新聞の社会面でも、無謀運転・悪質運転の記事が何度も取り上げられてきた。
テレビ番組でも、商店街アーケード内を暴走する通学自転車を取り上げたこともあった。
それでも警察は消極的で、警告のみや、実際に事故が発生してから責任追及をするくらいだ。

車道での自転車事故を減らすため、歩道が自転車通行可能に変更されたが、
今度は自転車が加害者となる歩行者の死亡事故が発生している。

歩道は歩行者優先で、一時停止や徐行の義務があるが、弱者を蹴散らす上下関係が基本の人は守らない。
留学生が言っていたが、「日本ではベルを鳴らせば歩行者の方が避けるので楽だ」 と。

車道を自動車専用道路と勘違いして、左側を走る合法な自転車を邪魔者扱いし、
横断歩道を歩行者が渡れないようにする運転者と同じ考えのままだ。

日本にいない2年間に増えたと思われるのは、無灯火、逆走、傘差し片手運転だ。
また携帯電話の普及により、電話をしながら、メールなど画面を見ながらの運転も増えた。

いくら安全教育をしても、安全意識が低く、元々マナーなど関係ない下品な人間はいるものだ。
それに罰則がないなら、捕まらないなら、守らなくてもいいだとか、
「俺だけ違反だなんて納得できない。全員捕まえろ。」と反論する者もいる。

市民生活に対して、警察権力が不当に介入することには反対だが、
人命に関わることなので、自転車の取り締まりは強化には賛成だ。

駐車違反取り締まりは民間委託となるので、これで自転車取り締まりに人員配置ができるだろう。

ただし赤切符による取り締まりの問題点は、これまで指摘されているように、
裁判なしに警察官の判断だけで罰則の適用が可能である点だ。

もし不服があるならば交通裁判を起こすわけだが、証明するのは大変なことだ。

加えて、反則金収入が前提の予算のため、その金額に達するように取り締まりを調節する。
ガソリン代が不足するから、無灯火自転車を一網打尽にして稼ぐようになるのだろうか。

とにかく、交通事故が減ることと、道路交通法の目的が達成されることを期待する。


ちなみに、警視庁のHPでは、以下に示すような自転車交通ルール関連の情報があった。
こういった情報も、興味のある人しか見ないので、なかなか大衆に普及しないのだろう。

自転車交通ルールの例示
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/roadplan/bicycle/manner.htm

警視庁の交通安全教室
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/nirin/anzen2.htm

危険予測トレーニング
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/yosoku/yosoku.htm

東京都板橋区自転車安全利用条例
http://www.city.itabashi.tokyo.jp/reiki/41590101000900000000/41590101000900000000/41590101000900000000.html

フランスでは、新雇用促進法という「初就業契約(CPE)」への反対運動が起きている。

解雇理由を明示しなくてもよいということが、どうして雇用拡大につながるのかわからない。
解雇されて、次の職場がすぐに見つかるという保証もないのに、そんなに実現したい法律なのか。

こんな納得できない法律には、反対意見を述べ、デモなどの抗議活動をするのは理解できる。

ただ、フランスを含めたヨーロッパの大学生はエリート階級であり、決して労働者階級にはならない。
会社ならば管理職候補など、支配階級になるために大学に進学したのである。
大学卒にふさわしくない、肉体労働や、単純労働をする気は元々ない。

批判的な見方をすれば、自分たちは労働者とは違って、大学卒の優秀な人材なのだから、
簡単に解雇されるなんて、とてもじゃないが容認できないと言いたいかのようだ。

農家や労働者階級の子弟が勉学に励み、大学を目指して上の階級にアップすることはあっても、
逆に、親が大学卒の家庭で、子どもは労働者階級になろうとは思わないし、望まれてもいない。

自分の階級に合致する仕事がないと言って、働かない若者がいるのは事実である。
大学進学率は増加しているため、大学卒向けの仕事がその分増えなければ、就職できないわけだ。

この反対運動が良い方向に向かい、全労働者の権利を守る結果となることを祈るのみだ。

まあ、EU市民ならばフランスで仕事がなくても、他国で働くこともできるので、
そういった選択肢がある分、日本よりは少しましではないか。


日本人一般の感覚としては、「エリートのエゴ」 と捉えるのかもしれない。
「仕事がないなら、掃除でもレジ打ちでもなんでもやれ」 と言いたくなるだろう。
または、「自己主張ばかりするから、解雇されるんだ」 と批判したくなるだろう。

もし日本で同様の反対運動などをしたら、就職活動に悪影響が出ると心配することだろう。
私のように自己主張が強いと、「左翼」や「赤」、「共産党員」 とのレッテルがつけられる。
私から見れば、あれだけの人数が連帯できるフランスがうらやましい。

こんなことを言うとまた、「日本に戻ってこない方が良かっただろう」と言われそうだ。


追記:
この法案は撤回となった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060410-00000091-mai-int

適切な職業訓練が受けられる制度が確立されることを期待したい。

(最終チェック・修正日 2006年04月10日)

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