回復の見込みのない患者について、人工呼吸器を外した「事件・疑惑?」が注目されている。
たまたま時期が重なっただけのようだが、尊厳死法案化の会合が開かれた。
大臣の指令によって会合しているということは、ほぼ法案化は決まったようなものだ。
あとは与党内合意を経て、国民が知らないうちに可決するのだ。
「日本尊厳死協会」のHPは次のリンク。
http://www.songenshi-kyokai.com/
立場が反対の、「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」のHPは次のリンク。
http://soshisuru.fc2web.com/
「尊厳死」の場合、本人の意思であらかじめ遺書にでも書くのだろうか。
または手術前に、もしもの場合についての処置について、契約書を作るのだろうか。
そういった文書の有効性や、偽造を防ぐ手段・手続きなど、法案化は困難な作業だ。
私の基本的意見とは、他人の権利を侵さない限りにおいては、
本人の意思による自由な選択肢が増えることを望んでいる。
脳死による臓器ドナーとなることを望む人たちがいるのも事実で、
また、臓器移植しか治療方法がない患者がいるのも事実であり、
その人たちの幸福追求の権利を他人が侵害することはできない。
健全な精神状態の時点で、将来の死に方を主体的に決めたい人もいるだろうから、
少数派であっても、その意思を尊重して、法的根拠を与えるのも一つの考えだ。
「自分らしい死に方」と言っても、自殺・死刑・殺人・中絶・脳死判定など、
死に関するニュースが毎日流れていて、どうしても気分は暗くなる。
ドナーとして参加した骨髄バンクの会合では、生きることをあきらめない患者の姿に接したが、
世の中には逆に、どのように死ぬのかを優先したい人が同時に存在するのだ。
多様性を認める社会を私は望んではいるものの、立場が正反対の勢力同士が、
互いを攻撃しあって、結果的に何も進展しない停滞を生むのであれば悲しい。
父方の祖父は、結核性脊髄炎で寝たきりとなり、やがて人工呼吸器で延命するようになった。
回復の見込みがないことが説明され、親戚が集まって、人工呼吸器をはずすことにした。
親戚の狙いは、「尊厳死・安楽死」で苦痛を和らげることではなく、遺産相続だったと疑われた。
祖父の葬式直後から、父と相続で何度も話し合いがあり、何年間も、もめ続けた。
このように、「尊厳死・安楽死」を隠れ蓑にした、相続狙いの殺人も危惧される。
父はガンが何箇所も転移してモルヒネを使っていたが、「尊厳死」は選択しなかった。
心肺停止の数時間前まで意識があり、母と短い会話をしていた。
相続問題が解決しない限り、死ねないと思っていたのだろう。
入院中も、遺産の分割試案を書いていたから。
遺言にはなかったが、父の生き方を尊重して延命措置をせず、角膜をアイバンクに提供した。
推進派・反対派から見れば、これも「尊厳死・安楽死」に相当するのだろうか。
私はそのときドイツにいたが、帰国後に角膜提供の話を聞き、
父の体の一部がどこかで生きていることで、少し落ち着くことができた。
しかし、親戚は、嫁が勝手に遺体を傷つけたと非難した。
死後6時間以内に採取する必要があり、親戚の同意など確認する暇はなかったのに。
ここでも本人の提供意思や延命措置の拒否などが、遺言など文書で明示されていれば、
親戚とこんなにもめることもなかっただろう。
法律やガイドラインを作るのはかまわないが、尊厳死の後に、
家族・親戚が不幸にならないように配慮してほしいものだ。
(最終チェック・修正日 2006年03月30日)
たまたま時期が重なっただけのようだが、尊厳死法案化の会合が開かれた。
大臣の指令によって会合しているということは、ほぼ法案化は決まったようなものだ。
あとは与党内合意を経て、国民が知らないうちに可決するのだ。
「日本尊厳死協会」のHPは次のリンク。
http://www.songenshi-kyokai.com/
立場が反対の、「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」のHPは次のリンク。
http://soshisuru.fc2web.com/
「尊厳死」の場合、本人の意思であらかじめ遺書にでも書くのだろうか。
または手術前に、もしもの場合についての処置について、契約書を作るのだろうか。
そういった文書の有効性や、偽造を防ぐ手段・手続きなど、法案化は困難な作業だ。
私の基本的意見とは、他人の権利を侵さない限りにおいては、
本人の意思による自由な選択肢が増えることを望んでいる。
脳死による臓器ドナーとなることを望む人たちがいるのも事実で、
また、臓器移植しか治療方法がない患者がいるのも事実であり、
その人たちの幸福追求の権利を他人が侵害することはできない。
健全な精神状態の時点で、将来の死に方を主体的に決めたい人もいるだろうから、
少数派であっても、その意思を尊重して、法的根拠を与えるのも一つの考えだ。
「自分らしい死に方」と言っても、自殺・死刑・殺人・中絶・脳死判定など、
死に関するニュースが毎日流れていて、どうしても気分は暗くなる。
ドナーとして参加した骨髄バンクの会合では、生きることをあきらめない患者の姿に接したが、
世の中には逆に、どのように死ぬのかを優先したい人が同時に存在するのだ。
多様性を認める社会を私は望んではいるものの、立場が正反対の勢力同士が、
互いを攻撃しあって、結果的に何も進展しない停滞を生むのであれば悲しい。
父方の祖父は、結核性脊髄炎で寝たきりとなり、やがて人工呼吸器で延命するようになった。
回復の見込みがないことが説明され、親戚が集まって、人工呼吸器をはずすことにした。
親戚の狙いは、「尊厳死・安楽死」で苦痛を和らげることではなく、遺産相続だったと疑われた。
祖父の葬式直後から、父と相続で何度も話し合いがあり、何年間も、もめ続けた。
このように、「尊厳死・安楽死」を隠れ蓑にした、相続狙いの殺人も危惧される。
父はガンが何箇所も転移してモルヒネを使っていたが、「尊厳死」は選択しなかった。
心肺停止の数時間前まで意識があり、母と短い会話をしていた。
相続問題が解決しない限り、死ねないと思っていたのだろう。
入院中も、遺産の分割試案を書いていたから。
遺言にはなかったが、父の生き方を尊重して延命措置をせず、角膜をアイバンクに提供した。
推進派・反対派から見れば、これも「尊厳死・安楽死」に相当するのだろうか。
私はそのときドイツにいたが、帰国後に角膜提供の話を聞き、
父の体の一部がどこかで生きていることで、少し落ち着くことができた。
しかし、親戚は、嫁が勝手に遺体を傷つけたと非難した。
死後6時間以内に採取する必要があり、親戚の同意など確認する暇はなかったのに。
ここでも本人の提供意思や延命措置の拒否などが、遺言など文書で明示されていれば、
親戚とこんなにもめることもなかっただろう。
法律やガイドラインを作るのはかまわないが、尊厳死の後に、
家族・親戚が不幸にならないように配慮してほしいものだ。
(最終チェック・修正日 2006年03月30日)