2006年05月

昨日の記事に書いた、母が管理していた町内の花壇だが、
電話して聞いてみたところ、既に花も木も何もないそうだ。


この場所は市の所有地であったが、雑草が生えていて汚かったため、
ボランティアで知られていた母に、花壇に整備する仕事が委託された。

母は自分のお金で花を買ったり、知り合いの花屋で売れ残った鉢植えを譲ってもらい、
そして腐葉土を自分で作りながら、10年かけて、きれいな花壇に整備した。

しかし、その当時から、近くに住む頑固おじさんが、いつも文句を言っていたそうだ。

花壇にイチジクの木があったが、その落ち葉が、おじさんの家の前に飛んでしまった。
おじさんは食堂も経営しているため、ゴミが家の前に飛んできたと怒ったわけだ。

母の腐葉土つくりも含めて、市役所に対しても、おじさんは抗議し続けた。
「公共の場を汚く利用している」 と。


母が汚したわけではなく、強風や大雨で土や落ち葉が流れたわけだし、
しかも夜中に花や土を盗みに来る人がいて、花壇の周囲が汚れていたそうだ。

おじさんは、イチジクの実がなると、母に何も言わずに、勝手にもぎ取って食べていたが、
イチジクの落ち葉に対しては、我慢がならなかったので、執拗に抗議したようだ。


市役所も対応に困ってしまい、母も続けたくないため、花壇は廃止と決定した。

今度は別の人から、花壇廃止に対する抗議が市役所に届くようになった。
地元紙に投書を用意する人まで現れた。

するとおじさんは、「花壇を廃止しろとは言っていない。イチジクだけ切れと言ったんだ。」 と、
態度が少し変わったが、それは、おじさんが困るような別の問題が発生したからだ。

市役所では、廃止した花壇を舗装して、歩道の一部とすることに決定した。

そこは、おじさんの家の下水管が通っているので、舗装されてしまうと、
工事のときには再舗装費用の一部を、おじさんは自己負担しなければならないのだ。


これまで町内でも嫌われていたので、自業自得だと皆に笑われている。


花は鉢に植え替えて、ほしい人に分けてあげた。
特に、チューリップは様々な色や形があり、人気だった。
昔から付き合いのあるスポーツ店では、木の植え替えも手伝ってくれた。
花がなくなった後からも、土だけでもほしいという人が毎日来たそうだ。


市役所では、花壇があった場所には、移動可能なプランターを置く予定だが、
もう母は面倒なことは嫌になったので、手伝わないことにした。

歩道が殺風景になった代わりに、近くの小学校の花壇の世話をすることにした。

近所付き合いのトラブルに巻き込まれた市役所の担当者もかわいそうだが、
高齢者の生きがいを奪うことにならないようにしてほしいものだ。


追記:
イチジクの木は、実をつけたまま移植された。
心配されたが、腕のいい植木屋さんが来てくれたようで、根付きもよく、実は食べ頃だという。
カラスなどがつつきに来たら、実が熟した印だそうだ。

(最終チェック・修正日 2006年06月02日)

引越しを何回もしているので、実家を連絡先にしていることが多い。
そのためか、不定期だが月に1回程度、母から冊子小包にまとめた雑誌が届くことがある。

手紙とまでは言えないが、毎回、近況を書いたメモが一枚入っている。

最近の内容で、少々気になったものがあったので、ここに転載する。

「花壇に木の葉を入れて、土つくりをして花を咲かせていましたが、
神経質な人の猛反対で、撤去しました。」



母は、市広報の配達や、ゴミ置き場の管理など、町内会の複数の仕事を受け持っている。
何年か前から、近くの歩道脇にある、荒れた花壇の管理も引き受けることになった。

冬は雪に埋もれてしまうが、秋に植えた球根をはじめ、春から季節の花を楽しめるようにしている。
花壇の前を通る小学生は、全く興味を示さないが、それでも話しかけたりしているそうだ。
「こっちと、それでは、葉っぱの形が違うでしょ。」 と言っても、何もわからない子どももいるが。

元々農家なので(と言っても先祖は武士だが)、土つくりや植物の手入れは慣れている。
だから肥料の代わりに、木の葉を土に埋めるのも当然のことなわけだ。

ただ、今の法律では、落ち葉もゴミとして処分しなければならず、
自分が管理する花壇に埋めても、ゴミの不法投棄という犯罪になってしまう。

だから猛烈な抗議があり、母は撤去しなければならなかったのだろう。
すると肥料を買うことになるが、せっかくお金をかけない方法だったのに、母がかわいそうだ。


こういった人は、嫌がらせのような猛抗議をして、母の行為を無理やりやめさせても、
お礼を言ったり、代わりの肥料を持ってきてくれるわけでもない。



田舎は、のんびりしていると思われがちだが、実は固定化した人間関係が息苦しいことが多い。

私がいた町内は年寄りが多いからか、過去からの対立があり、町内会の会合すら何年も開かれなかった。
老人会もまとまらないため、母が50代のときに代わりに幹事となって、温泉旅行の手配をしていた。

弟のステレオがうるさいと文句を言っていた、三軒隣の元校長のおじいさんは、
自分は毎日、ド下手な尺八の音を、無理やり近所に聞かせていた。

このおじいさんはアパートも持っていたが、うちでアパートを建てたときに抗議に来た。

新築であり、建てた時期も違うので、家賃を少し高目に設定していたのだが、
「お前たちは金儲けをしようとしているんだろう」と。

おじいさんは、自分のアパートが見劣りして、人気がなくなると心配したのかもしれない。
加えて母に、自分のアパートに入居している学生に市広報を配達するな、と抗議してきた。

このおじいさんが亡くなったとき、誰も悲しんではいなかった。

また隣の家では、アパートを建てる前に協議したはずだったのに、
「アパートの2階から覗かれる」 とのことで、高い塀を作って日陰にされた。


他にも、私が国立大付属に行っていたり、高校は進学校だったためか、
「知恵遅れの子どもがいるのに、無理して入学しなくてもいいのに」 と言われたことがある。

確かに姉は障害者で、養護学校に通っていたが、全員が知恵遅れと思われていたとは。

学校から帰宅する途中で、「あんたの姉さん、バカなんだってね」と言われたこともある。

都会では、自分に無関係な人が多いので、逆に気楽かもしれない。

田舎は自己所有の一戸建ても多いが、人間関係で悩んでも、
家を処分して転居することもできず、我慢の連続だ。

花壇の件も、母は町内美化のためにやっていたのに、気に入らない人が一人でもいれば、
その人に攻撃され、運が悪ければ放火や暴力事件となったかもしれない。

実家の庭に、ゴミを投げ込む人もいるので、何か事件に巻き込まれないかと心配だ。

週末に母に電話してみよう。

最近読んでいる中公新書は、酒井邦嘉著 「科学者という仕事」 だ。
副題は 「独創性はどのように生まれるか」。


内容は次の8章から成っている。

第1章 科学研究のフィロソフィー  知るより分かる
第2章 模倣から創造へ  科学に王道なし
第3章 研究者のフィロソフィー  いかに「個」を磨くか
第4章 研究のセンス  不思議への挑戦
第5章 発表のセンス  伝える力
第6章 研究の倫理  フェアプレーとは
第7章 研究と教育のディレンマ  研究者を育む
第8章 科学者の社会貢献  進歩を支える人達


引用文献が多いのが、科学者が書いた本という特徴であろう。
著者に許可を得て、引用・転載した部分もあり、論文・総説形式のようにも思える。

アインシュタインやキュリー夫妻の言葉など、著名な科学者の発言・著作のが数多く引用されていて、
専門家でなくても、自然科学の発展の歴史を、人物中心に概観するにはちょうどよい本だと思う。

そして科学というものが、単に論理だけできれいに創られたのでははなく、
喜怒哀楽に満ちた人間ドラマなのだと気づいてくれるだろう。


また、その引用した発言などは、巻末にまとめて、原語で掲載されており、
翻訳でのニュアンスの違いなどを、読者側がチェックできるという配慮もある。


「その研究は何の役に立つのですか?」 と聞かれることも多いので、
これからは、この本を推薦して、読んでもらうことにしたい。


親にも大学院に行くときには、「大学に残っても何もならない」と批判されたものだ。
父親はもう死んでしまったが、10年前に、この本があればよかったと思った。

今後の記事では、この本の内容を前提として書くことも検討しよう。


私は無名の二流化学者で、今は派遣社員という、博士に不相応な肩書きに甘んじている。
それでも知的好奇心は衰えず、また医薬開発の一端を担うことで、社会貢献をしたいと考えている。
それに大学や博物館などで、研究・啓蒙活動をすることでも、貢献したいと考えている。

子どものときは、「なぜなぜ坊や」 と呼ばれ、周りを質問攻めにし、
テレビや電話を壊したり、回転する扇風機に指を突っ込むなど、直接体験的な行動が多かった。

遠足に行っても、一人で山に入って観察したり、植物を採集したりしていた。
火山の噴火を見に行ったり、崖があると地層の様子を観察したりで、「変な子ども」と呼ばれた。
留学も一人で行ったし、誰もしていない研究テーマでも気にならないので、孤独が好きなのだろう。

大衆とは距離を置く変人がいないと、科学は進歩しないことを理解してもらえるだろうか。

大学でも企業でも、知り合いがいれば、いろいろな情報が入ってくる。

例えば、自分が不採用になった人事で、代わりにどのような人物が採用されたかも。
これまで具体的な情報を得たのは、大学人事で2件、企業で1件である。

このうち企業人事については、これまで触れていなかったので、ここで簡単に書いておこう。

ある化学メーカーで派遣就業しているとき、他のメーカーで有機合成研究者の中途採用があった。
研究所の場所が近く、転居しなくて済むのも有利なので応募することにした。

その会社で働く知り合いの話では、業績が低迷している、お荷物研究所のため、
社外の人間を入れて、活性化しないと、すぐにでも廃止されるのではないかとのことだった。

私は残念ながら、書類審査で不採用となってしまった。
赤字部門を持つ企業としては、すぐに新製品を出せる経験者・リーダーが希望だったのだろう。

それなら、代わりに採用された人は、とんでもなく優秀な研究者なのだろうと思った。
しかし現実は、研究所側が、がっかりするような人選だった。

研究所の所長が、知り合いの大学教授の強い推薦を断れず、ある国内ポスドクを採用した。
いわゆる「実験の虫」で、たくさん候補化合物を作り続けるから、まぐれ当たりもあるだろう。

しかし、朝から深夜まで実験を続け、また土日も研究所に来て実験するため、
時間外や休日出勤の管理をする総務は、労働基準法を理解してもらえず、困り果てていた。


三六協定の上限を超えても、本人は気にしないだろうが、処罰されるのは会社側だ。
それに休日に労災が発生したら、刑事事件になる可能性もあり、会社としては迷惑だ。

加えてその人は、会話をまったくしない、コミュニケーション能力がない人だそうだ。
それに年齢的にも、大学で面倒を見ることもできなくて、放出したのだろう。

これでは、会社が期待した、新製品を開発する研究リーダーとは程遠い。

本社では、こんな人の採用を承認したわけだから、そんな危機感のない会社に将来はないだろう。
または逆に、失敗人事でもかまわないという、太っ腹の会社なのか。
どちらにしても、不採用になって、実はよかったのかもしれない。


別の派遣先でも、実験しかできない人は見たことがある。
始発で出勤して、終電で帰り、土日も正月も会社に来る、年中無休の人だ。
その会社では、その人を管理職にしていたが、部下は派遣社員が一人いたことがあっただけ。
時間外手当を払いたくないから、管理職にしてあったのかもしれない。

その派遣先は、人事部を通さないルートがあり、有名大学教授がよく利用していた。
助手のポストが空くまで、数ヶ月から3年ほど、腰かけに使うためだ。
その間は、年金や保険で、会社負担分もあるわけだから、本当は損害を出しているのだ。


それにしても、人事とは不思議なものだ。

大学院で研究していると、学会発表や学位審査などのためにOHP資料を作る。
日本国内での発表でも、図表のタイトルや見出しなどは、英語で書くことが多い。

何もかっこつけてるわけではなく、そのまま国際学会での発表や、
論文の執筆に流用できるので、英語で書いた資料をストックしておくのだ。

研究室には留学生やポスドクもいるため、発表資料だけでも英語にしておくと、
全員が共通した理解を持つことができるので、非日本人が疎外されることも少ない。

また、海外留学をするときに英語能力の証明書を要求されることがあるが、
博士学位論文を英語で執筆した場合は、証明書に代えることができるので便利だ。

私は、所属する研究室が発足した初年度の配属であり、教授からは、
最初の卒論発表や学会発表資料を、英語で書くことを期待された。

それに研究室発足後、5人目の博士で、初めて英語で博士論文を書いたし、
最初の雑誌論文は分担したが、残り3報は第一著者として原稿全体を書いた。

そうした実地訓練のようなもので、ネイティブ添削も含めて、化学英語の書き方を学んでいった。



私の研究対象は、たまたま有色化合物で、反応の進行は、溶液の色の変化でモニターできた。
このときは、反応溶液の色が、紫から茶色、そして緑色になることを強調したかった。


そこで、"The reaction was monitored by naked-eye observation." とした。

すると助手が、"naked-eye observation" という表現に噛み付いた。

私は、「検出装置を使わず、色の変化を 『肉眼で』 観測できるという利点の強調です」 と説明した。

眼鏡をかけたその助手は、「眼鏡を使ったときは 『肉眼』 とは言わない」 と反論した。

いつまでも食い下がってしつこいので、教授の仲裁で、仕方なく別の表現にすることで落ち着いた。

眼鏡生活をしているし、東大卒のプライドで、「裸眼」 という意味が優先すると譲らなかったわけだ。

他にも、「俺の英語知識の方が上で正しい」 と、勝手に張り合ってくる奴はいた。
威張るために英語を勉強するわけでもないのに。

英語を小学校から導入しても、元の性格まで変えるわけではないので、
これからも、似たような勘違い野郎と出会うことだろう。

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