2015年08月

お盆休み明けから読んだ岩波新書新刊は、バトラー後藤裕子著、「英語学習は早いほど良いのか」だ。

【子どもたちに早くから英語を学ばせようというプレッシャーが強まっている.
「早く始めるほど良い」という神話はどこからきたのか? 大人になったら手遅れなのか? 
言語習得と年齢の関係についての研究の跡をたどり,問題点をあぶり出す.
早期開始よりも重要な要素とは何か,誰がどのように教えるのがよいのだろうか.】

目次は次の通り。

第1章 逃したらもう終わり? -臨界期仮説を考える
第2章 母語の習得と年齢  -ことばを学ぶ機会を奪われた子どもたち
第3章 第二言語習得にタイムリミットはあるのか
第4章 習得年齢による右下がりの線 -先行研究の落とし穴
第5章 第二言語学習のサクセス・ストーリー
第6章 外国語学習における年齢の問題
第7章 早期英語教育を考える

書店に行くと、早期英語教育を勧める書籍や雑誌が目につき、英語ができないと就職で不利になり、生きていけないかのような、強迫観念にとらわれているように思える。
早期教育を勧める前提として、「言語学習の開始は早ければ早い方がよい」というものがあり、「臨界期」という概念が理論的根拠として紹介されることが多い。
しかし、臨界期という概念は、動物行動学の「刷り込み現象」を人間の言語習得に応用したもので、未だに「仮説」としか言えないものだ。
臨界期の定義も研究者によってばらついているし、対象とする言語能力のとらえ方も様々なアプローチがあり、定まっていない。

移民入国時の年齢が、第二言語の音声や文法の習得状況に関係するのかどうか、という研究も行われているが、言語能力判定の方法について信頼性や妥当性に問題があることが指摘されている。
また、同じ5年間という習得期間を設定できたとしても、学習者が得られるインプットの量や質、それに第二言語を習得しようという動機など、統制できない変数がたくさんある。

学習開始年齢が上がると、母語話者レベルに到達する割合は確かに減少しているが、臨界期が存在すると断定できるような明確な境界はないようだ。
それに第5章で紹介されている「語学の達人」のように、思春期以降に習得を開始したのに、母語話者レベルに到達した事例がある。

達人には言語習得に特別な適性があるのではないか、とも言われるが、研究数も少なくて不明な点が多い。
達人の共通点の一つは、母語話者の発話を徹底的にまねし、発音についても母語話者から大量のフィードバックを受けとり、さらなる向上を目指していたことである。
そして積極的に母語話者の社会に溶け込んで、第二言語でのコミュニケーションを好んで行い、社交的で、リスクを取ることに抵抗がなかった。

第5章まで臨界期仮説に関係する先行研究を検証してきて、ここで筆者の仮説として、「年齢による制約は存在するが、臨界期のような特別な期間は存在していない」が提示される。
臨界期の代わりに、「年齢が他の要因と複雑かつダイナミックな相互作用を繰り広げている」と提案している。

第5章まで検証してきた「臨界期仮説」は、移民などが経験する第二言語習得を前提としており、日本のようにインプットの量も外国語の利用機会も制限された環境は、そもそも検証の対象にしていない。
そのため、日本での外国語学習について早めに知りたければ、第6章以降を先に読んでもよいだろう。

音声も文法も、外国語の学習開始年齢よりも、学習時間数の影響が大きいことが判明している。
また、母語である日本語の読み書き能力の基本が身についていると、外国語の習得の効率が良いことを示すデータもある。
ただ、日本語と異なる表記をする英語などを読むときに、音韻処理に日本語の処理方法を転化できず、資格処理に依存した認識をしているため、読み習得には困難があると思われる。

第7章では、外国語教育の早期開始よりも、インプットの充実と動機づけを高めることを提案している。
小学校で英語教育を始めるとしても、音声習得に偏るのではなく、ますます重要性を増している読み書きを導入し、「テクストについて語る力」を習得することを目指すように提案している。

一部では人気のイマージョンプログラムだが、英語で教えることによって、数学や科学の理解が不十分になるなどデメリットの方が大きいと指摘している。
また、優秀な指導者の確保のために教員の研修も必要だし、経済的格差による英語分断社会が生じないように配慮することも必要だ。

ということで、早期英語教育を完全に否定する本でもないし、英語習得の秘訣を伝授するような本でもない。
それでも、科学的根拠がはっきりしない「臨界期仮説」や、「グローバル化に対応した早期英語教育」といったキャッチフレーズに惑わされずに、自分の適正や目標に合った学習方法を見つけたいものだ。

verschreiben* verschrieb / verschrieben
他 (h)
1 ((jmet.4)) a) (医師が患者に薬剤・療法などを)指示する, 処方する

Die Schwermetalle in ihrem Körper stammen aus verschiedenen Ayurveda-Medikamenten, 
welche die Frau im April in einem Kurhotel auf Sri Lanka verschrieben bekommen und mit 
nach Deutschland gebracht hat.
彼女の体内にある重金属は、様々なアユールヴェーダ薬に由来している。女性はその薬を4月にスリランカのあるクアホテルで処方してもらい、ドイツに持ち帰っていた。
("Quecksilber und Blei: Frau durch Ayurveda-Medikamente vergiftet", SPIEGEL Online, 29.08.2015,
www.spiegel.de/gesundheit/diagnose/ayurveda-medikament-lebensbedrohliche-vergiftungsgefahr-a-1050322.html

nehmen* nahm / genommen; du nimmst, er nimmt; 命 nimm; 接II nähm
I 他 (h) 取る
4 (生理的・精神的に)摂取する
c) (権利として与えられているものを)行使する, 利用する, (休暇などを)取る: sich3 einen freien 
Tag nehmen / 〔sich3〕 einen Tag frei nehmen 1日休みを取る | sich3 〔die〕 Zeit für Lektüre 
nehmen 読書のために時間を費やす

Angela Merkel nahm sich3 mehr Zeit4 als geplant - fast eine Dreiviertelstunde länger sprach 
sie mit Flüchtlingen und Helfern in der Notunterkunft in Heidenau. "Deutschland hilft, wo Hilfe 
geboten ist. Das muss natürlich in der Praxis umgesetzt werden", sagte Merkel nach ihrem Besuch.
アンゲラ・メルケルは予定よりも長い時間を費やした。ほぼ45分長くメルケルは、ハイデナウの緊急シェルターで難民たちと、そしてボランティアらと話をした。「助けを必要としているところでドイツは助けます。これはもちろん実現しなければなりません」と、訪問後にメルケルは語った。
("Merkel in Heidenau: 'Danke an jene, die vor Ort Hass ertragen'", SPIEGEL Online, 26.08.2015,
www.spiegel.de/politik/deutschland/angela-merkel-in-heidenau-danke-an-jene-die-hier-hass-ertragen-a-1049893.html

ab|hängen
II
 他 (h) ((規則変化))
3 [スポーツ] (他の競争者を)〔はるか後方に〕引き離す, 振り切る; ((話)) (競争相手・ライバルを凌駕して)引き離す

Die meisten Länder Afrikas halten an der kolonialen Sprache auch deshalb fest, weil das 
Unterrichtsmaterial bereits existiert. Neue Sprachen einzuführen, ist teuer, gerade in einem 
multilingualen Umfeld. Der wichtigste Grund aber ist Afrikas Position in der Welt: Die meisten 
Bewohner des Kontinents empfinden sich abgehängt. Sie sehen, wie wichtig Englisch oder 
Französisch für wirtschaftlichen Erfolg sind, für den Zugang zum globalisierten Markt.
アフリカの国のほとんどが宗主国言語を手放さないのは、授業の教材がすでに存在しているからでもある。新しい言語を導入することはコストがかかるが、多言語環境ではまさにそうだ。しかし一番有力な理由とは世界でのアフリカの地位である。すなわちアフリカ大陸の住民のほとんどは、他地域から引き離されたと感じている。グローバル市場を目指すためには、英語またはフランス語が経済的成功にどれほど重要であるのか、アフリカの人々は悟っている。
("Bildungsforschung: Lieber Swahili als Englisch", Süddeutsche Zeitung, 20. August 2015,
www.sueddeutsche.de/wissen/bildung-zwischen-swahili-und-englisch-1.2615300

2011年度に小学校の学習指導要領が改訂され、5年・6年での外国語活動が必修化された。
文部科学省では、「小学校外国語活動サイト」を開設して宣伝している。
www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gaikokugo/

「外国語活動」と言っているが、実質的に「英語」を学ぶことになっている。
「グローバル化に対応」し、「東京オリンピック・パラリンピックを見据え」て、新たな英語教育を進めるそうだ。

そして巷では、英語ができないと就職も不利になって生きていけない、などの不安をあおる言葉が氾濫している。
人々を不安にさせて英語だけを勉強するようにと、極端な方向に向かわせて得をするのは、英語教育産業関係者とアメリカ好きの人たちだ。

私は研究で英語の論文や特許を毎日読むので、英語の勉強をやめろとまでは言わないが、英語至上主義のリスクは感じている。
ということで、英語関連の書籍で読むのは、たいていは英語学習の危険性を説くものだ。

今月読んだ書籍は、永井忠孝著、「英語の害毒」(新潮新書)である。
www.shinchosha.co.jp/book/610624/
【日本人の多くは英語を必須能力と捉えている。会話重視の教育はさらに低年齢化し、「日本語禁止」の企業まで登場する始末だ。それが「自発的な植民地化」への道だとも知らず――。本書では、気鋭の言語学者がデータに基づき英語の脅威を徹底検証する。「企業は新人に英語力など求めていない」「アジアなまりの英語こそ世界で通用する」等、意外な事実も満載。英語信仰の呪縛から解き放たれること必至の画期的考察!】

目次は以下の通り。

一章 英語の誤解――英語は本当に必要か
二章 英語の幻想――どんな英語をどれだけ学ぶべきか
三章 英語の損得――日本人はなぜ英語が好きなのか
四章 英語の危険――日本が英語の国になったら
五章 英語教育への提言

私は毎日英語を使っているが、それは文献や報道、プレスリリースを読むためであって、英語で商談をしたり、誰かと会話をすることはない。
海外メーカーや大学と共同研究しているグループならば、英語を使う頻度は高まるが、時差もあるので連絡はメールが多くなり、話すことよりも読み書き能力が求められる。
学会口頭発表ならば英語を聞いて話せないと質疑応答で困るが、論文を書くのであれば、「科学英語」という、口語とはスタイルの違う英語を使うことになる。

一章では、機械翻訳の精度が向上すれば、実用目的で英語を勉強する必要はなくなると指摘されている。


私の勤務先でも、イントラネット上で機械翻訳ソフトが提供されている。
英語を使う頻度の高い研究者は勉強が必要だろうが、指示を受けて働く一般社員は、機械翻訳を使って大意を理解するだけでかまわないだろう。
もし間違えたら困ることならば、その社員は勝手に動くのではなく、上司に相談して確認すればいいのだから。

二章で指摘しているように、英語が得意な日本人が増えたとしても、英米英語を目標としている限り、二級市民にとどまるであろう。
それよりも
ニホン英語という、外国人として理解しやすい英語を作る方が、国際社会では武器になるはずだ。

四章を読めば、日本の政府や経済界が、アメリカのために英語を普及させてきたことがわかる。
国際交流も貿易も、アメリカだけが相手ではないのに、アメリカのご機嫌をうかがうように行動するのは不思議なものだ。
また、TPPが成立した場合、日本語自体が非関税障壁だと訴えられるリスクも生じる。
コメを守るなどと叫ぶよりも、日本人の生活そのものを守ることを考える必要があるのかもしれない。

五章からは、「多言語教育のすすめ」を取り上げよう。
現時点だけを考えれば、英語だけを勉強すればかまわないと思う人も多いだろうが、未来永劫、英語が重要言語の地位を維持する保証はない。
そのため、中学校から三言語を学ぶことを提案している。

一つめは英語を選択しても、地域によっては第二外国語として、中国語や朝鮮語、ロシア語が重要かもしれないし、南米からの日系人移住者が多ければスペイン語、ポルトガル語を学んでもよい。
複数の国で使われる言葉として、アラビア語も選択肢だ。
また、日本固有の言語として、アイヌ語なども選択できるようにすべきだと提案している。

私はNHKの語学講座を利用して、高校2年のときに中国語、3年のときにドイツ語を学び、大学ではスペイン語も学んだ。
化学の研究では英語とドイツ語ばかり使ったが、それでも留学生と少し話せて楽しかったし、その国の文化に触れることもできて有益だった。
最近、興味を持っているのはノルウェー語で、さらにアイスランド語、デンマーク語、オランダ語、スウェーデン語もやってみたいと思っている。

英語が完璧ではないのに他の外国語を勉強するのはおかしい、などと批判する人もいたが、多様な世界を知ることの方が重要だと思う。
自然科学や環境問題など、日本で報道されないニュースを読むために、そしてアメリカ目線にならないためにも、多言語環境での生活を続けたい。

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