お盆休み明けから読んだ岩波新書新刊は、バトラー後藤裕子著、「英語学習は早いほど良いのか」だ。
【子どもたちに早くから英語を学ばせようというプレッシャーが強まっている.
「早く始めるほど良い」という神話はどこからきたのか? 大人になったら手遅れなのか?
言語習得と年齢の関係についての研究の跡をたどり,問題点をあぶり出す.
早期開始よりも重要な要素とは何か,誰がどのように教えるのがよいのだろうか.】
目次は次の通り。
第1章 逃したらもう終わり? -臨界期仮説を考える
第2章 母語の習得と年齢 -ことばを学ぶ機会を奪われた子どもたち
第3章 第二言語習得にタイムリミットはあるのか
第4章 習得年齢による右下がりの線 -先行研究の落とし穴
第5章 第二言語学習のサクセス・ストーリー
第6章 外国語学習における年齢の問題
第7章 早期英語教育を考える
書店に行くと、早期英語教育を勧める書籍や雑誌が目につき、英語ができないと就職で不利になり、生きていけないかのような、強迫観念にとらわれているように思える。
早期教育を勧める前提として、「言語学習の開始は早ければ早い方がよい」というものがあり、「臨界期」という概念が理論的根拠として紹介されることが多い。
しかし、臨界期という概念は、動物行動学の「刷り込み現象」を人間の言語習得に応用したもので、未だに「仮説」としか言えないものだ。
臨界期の定義も研究者によってばらついているし、対象とする言語能力のとらえ方も様々なアプローチがあり、定まっていない。
移民入国時の年齢が、第二言語の音声や文法の習得状況に関係するのかどうか、という研究も行われているが、言語能力判定の方法について信頼性や妥当性に問題があることが指摘されている。
また、同じ5年間という習得期間を設定できたとしても、学習者が得られるインプットの量や質、それに第二言語を習得しようという動機など、統制できない変数がたくさんある。
学習開始年齢が上がると、母語話者レベルに到達する割合は確かに減少しているが、臨界期が存在すると断定できるような明確な境界はないようだ。
それに第5章で紹介されている「語学の達人」のように、思春期以降に習得を開始したのに、母語話者レベルに到達した事例がある。
【子どもたちに早くから英語を学ばせようというプレッシャーが強まっている.
「早く始めるほど良い」という神話はどこからきたのか? 大人になったら手遅れなのか?
言語習得と年齢の関係についての研究の跡をたどり,問題点をあぶり出す.
早期開始よりも重要な要素とは何か,誰がどのように教えるのがよいのだろうか.】
目次は次の通り。
第1章 逃したらもう終わり? -臨界期仮説を考える
第2章 母語の習得と年齢 -ことばを学ぶ機会を奪われた子どもたち
第3章 第二言語習得にタイムリミットはあるのか
第4章 習得年齢による右下がりの線 -先行研究の落とし穴
第5章 第二言語学習のサクセス・ストーリー
第6章 外国語学習における年齢の問題
第7章 早期英語教育を考える
書店に行くと、早期英語教育を勧める書籍や雑誌が目につき、英語ができないと就職で不利になり、生きていけないかのような、強迫観念にとらわれているように思える。
早期教育を勧める前提として、「言語学習の開始は早ければ早い方がよい」というものがあり、「臨界期」という概念が理論的根拠として紹介されることが多い。
しかし、臨界期という概念は、動物行動学の「刷り込み現象」を人間の言語習得に応用したもので、未だに「仮説」としか言えないものだ。
臨界期の定義も研究者によってばらついているし、対象とする言語能力のとらえ方も様々なアプローチがあり、定まっていない。
移民入国時の年齢が、第二言語の音声や文法の習得状況に関係するのかどうか、という研究も行われているが、言語能力判定の方法について信頼性や妥当性に問題があることが指摘されている。
また、同じ5年間という習得期間を設定できたとしても、学習者が得られるインプットの量や質、それに第二言語を習得しようという動機など、統制できない変数がたくさんある。
学習開始年齢が上がると、母語話者レベルに到達する割合は確かに減少しているが、臨界期が存在すると断定できるような明確な境界はないようだ。
それに第5章で紹介されている「語学の達人」のように、思春期以降に習得を開始したのに、母語話者レベルに到達した事例がある。
達人には言語習得に特別な適性があるのではないか、とも言われるが、研究数も少なくて不明な点が多い。
達人の共通点の一つは、母語話者の発話を徹底的にまねし、発音についても母語話者から大量のフィードバックを受けとり、さらなる向上を目指していたことである。
そして積極的に母語話者の社会に溶け込んで、第二言語でのコミュニケーションを好んで行い、社交的で、リスクを取ることに抵抗がなかった。
第5章まで臨界期仮説に関係する先行研究を検証してきて、ここで筆者の仮説として、「年齢による制約は存在するが、臨界期のような特別な期間は存在していない」が提示される。
臨界期の代わりに、「年齢が他の要因と複雑かつダイナミックな相互作用を繰り広げている」と提案している。
第5章まで検証してきた「臨界期仮説」は、移民などが経験する第二言語習得を前提としており、日本のようにインプットの量も外国語の利用機会も制限された環境は、そもそも検証の対象にしていない。
そのため、日本での外国語学習について早めに知りたければ、第6章以降を先に読んでもよいだろう。
音声も文法も、外国語の学習開始年齢よりも、学習時間数の影響が大きいことが判明している。
また、母語である日本語の読み書き能力の基本が身についていると、外国語の習得の効率が良いことを示すデータもある。
ただ、日本語と異なる表記をする英語などを読むときに、音韻処理に日本語の処理方法を転化できず、資格処理に依存した認識をしているため、読み習得には困難があると思われる。
第7章では、外国語教育の早期開始よりも、インプットの充実と動機づけを高めることを提案している。
小学校で英語教育を始めるとしても、音声習得に偏るのではなく、ますます重要性を増している読み書きを導入し、「テクストについて語る力」を習得することを目指すように提案している。
一部では人気のイマージョンプログラムだが、英語で教えることによって、数学や科学の理解が不十分になるなどデメリットの方が大きいと指摘している。
また、優秀な指導者の確保のために教員の研修も必要だし、経済的格差による英語分断社会が生じないように配慮することも必要だ。
ということで、早期英語教育を完全に否定する本でもないし、英語習得の秘訣を伝授するような本でもない。
それでも、科学的根拠がはっきりしない「臨界期仮説」や、「グローバル化に対応した早期英語教育」といったキャッチフレーズに惑わされずに、自分の適正や目標に合った学習方法を見つけたいものだ。
達人の共通点の一つは、母語話者の発話を徹底的にまねし、発音についても母語話者から大量のフィードバックを受けとり、さらなる向上を目指していたことである。
そして積極的に母語話者の社会に溶け込んで、第二言語でのコミュニケーションを好んで行い、社交的で、リスクを取ることに抵抗がなかった。
第5章まで臨界期仮説に関係する先行研究を検証してきて、ここで筆者の仮説として、「年齢による制約は存在するが、臨界期のような特別な期間は存在していない」が提示される。
臨界期の代わりに、「年齢が他の要因と複雑かつダイナミックな相互作用を繰り広げている」と提案している。
第5章まで検証してきた「臨界期仮説」は、移民などが経験する第二言語習得を前提としており、日本のようにインプットの量も外国語の利用機会も制限された環境は、そもそも検証の対象にしていない。
そのため、日本での外国語学習について早めに知りたければ、第6章以降を先に読んでもよいだろう。
音声も文法も、外国語の学習開始年齢よりも、学習時間数の影響が大きいことが判明している。
また、母語である日本語の読み書き能力の基本が身についていると、外国語の習得の効率が良いことを示すデータもある。
ただ、日本語と異なる表記をする英語などを読むときに、音韻処理に日本語の処理方法を転化できず、資格処理に依存した認識をしているため、読み習得には困難があると思われる。
第7章では、外国語教育の早期開始よりも、インプットの充実と動機づけを高めることを提案している。
小学校で英語教育を始めるとしても、音声習得に偏るのではなく、ますます重要性を増している読み書きを導入し、「テクストについて語る力」を習得することを目指すように提案している。
一部では人気のイマージョンプログラムだが、英語で教えることによって、数学や科学の理解が不十分になるなどデメリットの方が大きいと指摘している。
また、優秀な指導者の確保のために教員の研修も必要だし、経済的格差による英語分断社会が生じないように配慮することも必要だ。
ということで、早期英語教育を完全に否定する本でもないし、英語習得の秘訣を伝授するような本でもない。
それでも、科学的根拠がはっきりしない「臨界期仮説」や、「グローバル化に対応した早期英語教育」といったキャッチフレーズに惑わされずに、自分の適正や目標に合った学習方法を見つけたいものだ。