2018年05月

ドイツ語の名詞には4種類の格変化がある。
そのうち2格(属格)の重要な用法は、付加語として名詞を修飾することである。
一般的に付加語としての2格名詞は、被修飾語の後に置かれる。

しかし、被修飾語の前に置かれることもあり、文学作品の他に、聖書の詩編やバッハのコラールなどに見られる。

聖書の詩編から、2格付加語の用法を引用しよう。
なお、2格名詞は赤色太文字で示し、更にその右上に上付き数字「2」を示してある。
念のため、被修飾語は、青色にした。

一般的な語順の例:
EIN PSALM DAVIDS2 ダビデの
der Name des Gottes2 Jakobs ヤコブの神の御名 (詩編20編2節)

Das Gesetz des HERRN2 ist vollkommen und erquickt die Seele.
主の律法は完全で、魂を生き返らせ (詩編19編8節)

前置の例:
Der HERR ist meines Lebens2 Kraft;
主は私の命の、 (詩編27編1節)

今後、事例を追加する予定。

キリスト教徒になるためには、「父と子と聖霊の名によって洗礼を受ける」ことが必要である。
洗礼を受けることによって、罪に支配された古い自分が死に、イエス・キリストのものになった新しい自分に生まれ変わる。
受洗しても、聖人になるわけではないが、正しい道を歩こうと決意しただけでも、以前とは生き方が変わるものだ。

名詞の 「洗礼」 は、Taufe で女性名詞。

この名詞 Taufe を使って、「
洗礼を受ける授ける」 は、die 〔heilige〕 Taufe empfangen / spenden (heilge は省略可能)。

他動詞の 「洗礼を授ける」 は、jn. taufen で、洗礼を授ける対象者を4格にする。

洗礼を受ける」 は、sich4 taufen lassen という受動表現にする。

最初に、マルコによる福音書から、洗礼者ヨハネが悔い改めの洗礼を授けている場面と、イエスの洗礼の場面を引用しよう。

マルコによる福音書第1章4~5節

4 so war Johannes in der Wüste, taufte und predigte die Taufe der Buße 
zur Vergebung der Sünden.
5 Und es ging zu ihm hinaus das ganze judäische Land und alle Leute von Jerusalem und ließen sich von ihm taufen im Jordan und bekannten ihre Sünden.

新共同訳: 4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとにきて、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた

マルコによる福音書第1章8~9節

8 Ich habe euch mit Wasser getauft; aber er wird euch mit dem Heiligen Geist 
taufen.
9 Und es begab sich zu der Zeit, dass Jesus aus Nazareth in Galiläa kam und 
ließ sich taufen von Johannes im Jordan.

8
 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」
9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた


例文としてもう1つ、サウロ(パウロ)の 「目からうろこが落ちる」 のところを引用しておこう。

使徒言行録第9章18~19節

18 Und sogleich fiel es von seinen Augen wie Schuppen, und er wurde wieder 
sehend; und er stand auf, ließ sich taufen 
19 und nahm Speise zu sich und stärkte sich.

18 すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け
19 食事をして元気を取り戻した。

イスラエル建国70年の今年2018年は、パレスチナ難民の苦難70年でもある。
アメリカ合衆国大使館がエルサレムに移転することとなり、神が望まない争いが起きている。
聖書の言葉を、自分たちの都合で恣意的に解釈した罪人たちが、平和を破壊している。

隣人を自分のように愛しなさい。迫害する敵をも愛しなさい」とイエスは教えられたが、自分勝手な人間たちは、神の御心など無視して、自分の思いを実現することばかりしてしまう。

罪人である人間であっても、悔い改めて、イエスが示した道に従おうと努力することが、平和の実現のために大切だ。

そんな日に読む聖書の個所として、マタイによる福音書5章44~45節を引用しよう。

その少し前の43節から、更に48節までをまとめて、見出しとして Von der Feindeliebe (敵を愛することについて)、新共同訳では、「敵を愛しなさい」 と書かれている。

なお、今回紹介する個所も含めて、ルター訳聖書では、有名な聖句の部分を太字で印刷している。

マタイによる福音書5章44~45節
44 .. Liebt eure Feinde und bittet für die, die euch verfolgen
45 auf dass ihr Kinder seid eures Vaters im Himmel. Denn er lässt 
seine Sonne aufgehen über Böse und Gute und lässt regnen über 
Gerechte und Ungerechte.

(新共同訳)
44 .. 敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい
45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。

44節に示されたイエスの命令、「敵を愛せ、迫害する者のために祈れ」 の目的とは、次の45節の auf dass 以下に示されている。

auf dass .. は、「…するために」。
古風な表現で、今日では単なる dass .. または damit .. で表現される。

実際に、前回の1984年改訂版では、現代ドイツ語に書き換えているため、damit を使って以下のようになっていた。
damit ihr Kinder seid eures Vaters im Himmel.

その前の1912年改訂版では auf daß になっている。
auf daß ihr Kinder seid eures Vater im Himmel;

以下に示したルター訳1545年改訂版と比較するとわかるように、2017年改訂版は、綴りは現代の正書法ではあるものの、ルターオリジナルに回帰している。
Auff das jr Kinder seid ewrs Vaters im Himel /

現代ドイツ語で、通常の語順は、auf dass ihr Kinder eures Vaters im Himmel seid になるが、オリジナルを尊重して、2格名詞句 eures Vaters im Himmel が枠外配置されている。

このような枠外配置は、特に長い語句があって動詞と目的語が離れすぎるときに、現代ドイツ語でもよく行われる。

また、後半の Sonne 「太陽」 が、die Sonne ではなく、「seine Sonne」 であることに注目したい。
自然界に存在する天体の太陽ではなく、「神が創造した太陽」 という意識なのだ。

それで、最初に戻って、「敵を愛するためには、どのように祈ればよいのか」 という問題を考えよう。
どうしても実践できず、罪人であることを思い知らされるだけかもしれないが、それも悔い改めにつながるのであれば、無駄ではない。
そして、実際に、どのように祈るのか、私は場合は、「悪人がサタンの支配から逃れることができるように神の導きを祈る」 ようにしている。
私の力で他人を変えることはできないので、神が働くように、執り成しの祈りをするのだ。

44節に出てくる動詞 bitten からも考えてみよう。
bitten bei jm. für jn. の構文であるが、ここで祈る相手は神であることは明白なので、bei Gott は省略している。
すると、「自分を迫害する者に神のご加護があるように祈る」 や、「自分を迫害する者が正しい道に戻るように神に執り成しの祈りをする」 と解釈できるだろう。

神学的な解釈については、専門書を参考にしてほしい。
ドイツ語から考えるというこのブログ記事の方針から、私見を示したに過ぎない。

ドイツ語の勉強をしながら、敵を愛せないことを悔い改めるなんて、苦難が増大するだけかもしれないが、これが私の独自性・個性なので、一生続けていこう。

翻訳専業となった私は、既に研究職ではないが、自然科学の様々な動向は、趣味と実益を兼ねてチェックしている。

最近は、SI単位系の定義の改訂にも興味がある。
そして今年2018年に注目されていることとは、質量の単位であるキログラムの定義の変更が予定されていることだ。

キログラムの定義の変更について、2015年のナショナルジオグラフィック日本版の記事は次の通り。
natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/a/072100020/

これまでは、国際キログラム原器で定義していたが、ある原子をアボガドロ定数個集めた質量に変えることになった。
そのためには、アボガドロ定数を正確に決定する必要がある。

日本の産業技術研究所で、その測定を達成したことの報告は次の通り。
www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2017/pr20171024/pr20171024.html

ドイツでも達成しており、ドイツ物理工学研究所(PTB)の研究紹介のサイトは次の通り。
www.ptb.de/cms/forschung-entwicklung/forschung-zum-neuen-si/ptb-experimente/kilogramm-und-mol-atome-zaehlen.html

そして今月は、この改訂について解説した講談社ブルーバックスの 「新しい1キログラムの測り方」(臼田孝著)を読んでいる。
gendai.ismedia.jp/list/books/bluebacks/9784065020562
gendai.ismedia.jp/articles/-/55228

今回取り上げるのは、アボガド定数の決定に使われた高純度ケイ素について、元素名なのに 「シリコン」 と書いていることだ。

第9章 「新しいキログラムへの道 - 動き出した国際プロジェクト」 を見ると、アボガドロ定数の決定に使用する理想的な材料としてケイ素が紹介されている。

元素名の和名は、日本化学会が決定しており、原子番号14の元素は 「ケイ素」 であって、シリコン」 ではない

「シリコン」 は、特に電子材料の分野で、高純度ケイ素を意味する業界用語であって、学術用語ではない。

「材料」 として説明しているため、「シリコン」 でもよいのではないか、または、研究者ではない一般人向けには、「シリコン」 の方がなじみがあるのではないか、などと言われそうだが、科学的に正確な記述を優先して、「ケイ素」 にしてほしかった。

例えば、171ページにある同位体についても、「シリコン28」 には違和感がある。

出版元の講談社への問い合わせは、メールフォームがなかったので、時間があるときに電話して聞いてみよう。

明日5月13日日曜日は、「主の昇天の主日」 である。

今年2018年のイースター、つまり主イエスの復活を祝う主日は、4月1日であった。
聖書の記述によれば、復活してから40日後に天に昇ったことになっているため、その40日後に一番近い日曜日に、主の昇天を祝う礼拝をする。

私の教会では、教会暦にあまりこだわらずに礼拝をするので、明日は主の昇天の個所を読むわけではない。

ただ、様々なキリスト教関係のサイトでは、「今日の聖句」で、ここ数日は昇天に関する個所を紹介している。
例えば、ドイツの福音派教会 EKD のサイトは次のリンク。
www.ekd.de/

今日5月12日にアクセスすると、ルカによる福音書24章51節を紹介していた。

以下に示す聖書個所は、ドイツ語がルター訳聖書2017年改訂版、日本語が新共同訳である。
(それぞれ原典から翻訳しているため、ドイツ語と日本語との内容は一致しないことに注意)

・ルカによる福音書24章51節

ドイツ語: Und es geschah, als er sie segnete, schied er von ihnen und 
fuhr auf gen Himmel.
  (そして次のことが起きた。イエスは彼らを祝福しながら離れて、天に昇られた。)

日本語: そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた

ギリシャ語原文では、受動態のため、日本語の「天に上げられた」の方が、原文に忠実な翻訳と言えるだろう。

ドイツ語で、動詞 「昇天する」 は、auffahren (不規則の分離動詞)である。

「天に向かって」 という前置詞句を加えて、ルター訳のように gen Himmel auffahren とすることもある。
また、動詞を fahren にして、gen Himmel fahren でも同じ意味だ。

ルター訳では、auffahren の過去形が分離した形で先に出て、fuhr auf gen Himmel となっているが、これはギリシャ語原文の語順のまま、つまり逐語訳のようになっている。

ルター訳聖書では、例えば、「~の人々は幸いである(Selig sei, ..)」は、ギリシャ語の表現をそのまま借用した翻訳となっているので、ここでもギリシャ語のまま借用したと言えるだろう。

これは、イエスが天に上ってゆく様子を動的に表現しているとも言えるかもしれない。
イエスの体が次第に上昇して、そして天に向かってどんどん昇っていき、最後には見えなくなった、という映画のシーンが思い出される。

また、名詞 「昇天」 は、Auffahrt または Himmelfahrt で、いずれも女性名詞。

他の個所での記載も比較のために記しておこう。

・マルコによる福音書16章19節
Nachdem der Herr Jesus mit ihnen geredet hatte, wurde er aufgehoben gen Himmel 
und setzte sich zur Rechten Gottes.

主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。

・使徒言行録1章9-10節
9Und als er das gesagt hatte, wurde er vor ihren Augen emporgehoben, und eine Wolke 
nahm ihn auf, weg vor ihren Augen.
10Und als sie ihm nachsahen, wie er gen Himmel fuhr, ..

9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。
10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。…

auf|heben* 他 (h) 上方に持ち上げる
empor|heben* 他 (h) 持ち上げる

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