2018年08月

現在の勤務先でも、確定拠出年金個人型(iDeCo)を続けている。
前職と同様に退職金がない契約のため、ある程度の老後資金を自分で準備する必要がある。
今月末時点で、拠出額は 2,957,000 円で、評価額は 3,610.184 円であり、約65万円のプラスだ。

拠出できるのは60歳までなので、現在の月 23,000 円を継続すると、拠出額は約500万円となる予定。
評価額は、期待を込めて600万円と想定している。

これでも足りないと感じているので、個人年金保険で、65歳以降の10年間に年90万円受け取る契約にしている。
65歳以降は、翻訳を続けると想定して、小規模企業共済を75歳まで積み立てて、その後の年金にしようと計画している。少し余裕があれば、つみたてNISAで75歳以降に受け取る金額を、年20~40万円にしたいところだ。

最近は65歳まで働ける会社が増えてきたので、iDeCoも65歳まで拠出できるようになってほしいと思っていた。
すると、本日の日本経済新聞に、厚生労働省が延長を検討しているとの記事が載った。

【厚生労働省は運用成果によって年金額が変わる確定拠出年金について、掛け金を払い込める期間を延ばす方向で検討に入る。上限を60歳から65歳に上げる案が軸だ。期間が延びれば、老後に受け取る年金は増える。60歳を超えても働く人が増えているため私的年金の仕組みを充実させ、先細りする公的年金を補う。

掛け金の上限は自営業者などで月6.8万円、会社員(個人型のみ)は月2.3万円だ。加入期間が5年延びれば、会社員の場合で最大138万円掛け金を多く出せる。拠出したお金の運用期間も延び、複利効果を得やすくなる。

この制度変更が行われれば、65歳時点で700万円以上の老後資金を準備できそうだ。

製薬メーカー子会社が解散したとき、私の退職金はゼロだったが、親会社からの出向社員は4000万円近くもらった人もいたそうなので、700万円とは少ない金額だが、何もないよりはましだし、拠出期間中の所得控除があるのでよしとしよう。

iDeCoの拠出金は、全額が所得控除に使えるため、税制改正との調整が必要かもしれないが、公的負担だけでは現在の給付水準を維持できないので、65~75歳の10年間だけでも、年70万円収入が増えるのだから、少しは安心できそうだ。

(最終チェック・修正日 2018年09月05日)

大学院修士課程の2年間、日本育英会、現在の日本学生支援機構の奨学金をもらった。
当時は、返済が免除される高校教員または大学研究職を希望していたので、この年まで返済を続けることは想定していなかった。

無利子の時代だったので、それに博士課程の3年間は返済義務のない別のお金をもらったので、奨学金貧乏にはなっていないが、年間12万円の返済であっても、その分が積立投資に回せないので、ライフプランにある程度の影響はあったと思われる。

今年でようやく返済が終了するので、つみたてNISAまたは中小企業共済で月1万円の積立をしようと思っているが、弟への仕送りがあって来年の予算も10万円以上の赤字なので、まだ決めていない。

とりあえず、今年12月に支払う12万円を確保することを考えよう。
個人年金保険の年払いも12月に約16万円あるので、今のうちに両方とも考えておく方がよいだろう。

個人年金保険は、医薬メーカー子会社で勤務しているときに加入したもので、生命保険会社2社で、それぞれ1契約ずつ持っている。
5月に約18万円、12月に約16万円払い、65歳以降、年間合計で最低約90万円の年金として受け取れる。

その当時は、親会社の正社員よりは少なかったものの、賞与は年4か月分あり、しかも業績評価でプラス10%になったこともあるから、年間で約34万円を払っても気にならなかった。

現在の勤務先でも賞与があるが、これはクリスマス献金の他に、来年5月の年払い分と、住民税の支払いに残しておきたい。
ということで、12月に支払う個人年金保険料16万円と、奨学金返済12万円は、米ドル建て翻訳料金を換金して充当する予定にしている。

海外の翻訳会社との取引は、当初は月$300程度の予算設定であったが、予想外に多くなる月もあり、既に換金したり Union Bank に出金した分を除いても、9月末の Paypal 残高は、約$2500になる予定だ。

最近のレート1$=108円で計算すると約27万円となる。
これに1万円足すのは、それほど困難ではないので、12月に必要な約28万円は確保できたと考えてもよいだろう。

年末の為替レートは予想できないので、9月初めに約12万円分を換金して、大和ネクスト銀行の期日定期預金を12月27日満期で作成しよう。
12万円だと、金利 0.100% でも、奨学金返済時の手数料30円を利息で稼ぐことができないが、何もないよりはましだ。

今年は運よく海外の翻訳会社の仕事があったので支払えるが、来年はどうなるか不明なので、弟が一日も早く目覚めて、社会保険のある仕事に就くように祈りたい。

追記(9月5日):
4日に Paypal で日本円に換金して、約12万2千円を引き出した。
為替差益は約300円。

このうち12万円を大和ネクスト銀行で期日指定定期(12月27日満期)にした。
年利0.100%で、源泉徴収後の受け取り利息は31円。
これで、奨学金返済時の手数料30円をまかなうことができた。

スルガ銀行ANA支店で口座を開設したのは、約10年前の2009年1月であった。
給与振込などでANAマイルが貯まるし、預金金利も高めで、しかも使えるATMが多いので、利便性が高いと判断した。
また、VISAデビットカードが使えるのも便利ではないかと感じた。
www.surugabank.co.jp/ana/

現在は、VISAデビットカードが使える店での一般的な買い物の決済の他、保険掛け金や公共料金の支払いに使っている。
スペシャルギフト付き定期預金は、年利 0.110% と少し高めなので、10万円のみだが継続している。
積立定期は月1万円で継続しており、家電の買い替えや、年金保険の年払いに備えている。

ANA支店のサービス内容には、それほど不満はないのだが、今年になって大騒ぎになっているように、不正融資問題があるため、口座解約について今年中に考えたい。

本日8月29日の日本経済新聞電子版によると、責任を取って会長・社長・専務が全員辞任することになったそうだ。

スルガ銀行はシェアハウスを含む投資用不動産向けの不適切な融資が横行していた問題の責任を取り、3人いる全ての代表取締役が辞任する人事を固めた。創業家出身の岡野光喜会長(73)のほか米山明広社長(52)と白井稔彦専務(64)が9月中にも辞める方向だ。経営責任の所在に区切りをつけ、審査書類の改ざんなどで揺らいだ経営の見直しに向け動き出す。

これから不正が行われない銀行に生まれ変わるのかもしれないが、ANAマイルがもらえることと、他行宛振込手数料月10回無料を除いて、スルガ銀行のメリットを感じなくなってきたので、解約するか、休眠口座にするか、検討しよう。

10年前は取り扱いが少なかったVISAデビットカードだが、三井住友銀行で作成することにしよう。
公共料金や保険の口座引き落としも三井住友銀行でまとめて、ポイントをもらえばよいかもしれない。
または、家賃振込で使っている横浜銀行にまとめることも考えている。

口座引き落としの手続きは、まとめてオンラインで済むものもあるが、確定拠出年金はコールセンターに電話して変更届を請求するところから始めねばらなず、面倒なことも多い。

まずは、年内に引き落とし口座変更を済ませてから、スルガ銀行の口座解約を検討することにしよう。

不正が全くない銀行を探していたら、どこも見つからないかもしれないので、どこかで妥協しなければならないだろう。ただし今回のスルガ銀行は、書類の改ざんがあったので、便利なサービスを提供していたとしても、抗議の意味で、解約して意思表示すべきだとも思っている。

弟への仕送りで、来年度予算も約10万円近い赤字の予想なので、銀行口座のことなど、結局は後回しになるかもしれない。
遅くとも、確定申告を済ませた2月下旬には考えたい。

本日発売の経済誌 「東洋経済」2018年9月1日号の特集は、「宗教 カネと権力」である。
store.toyokeizai.net/magazine/toyo/20180827

経済誌なので、宗教法人の税制優遇や、財務諸表が非公開のことが多いという指摘、そして宗教職の労務管理や社会保険加入の話題など、いろいろな情報が並べられている。

私が会員であるプロテスタント教会では、会計担当の役員がきちんと管理しているため、使途不明金もないし、将来のための積立金も、ある程度確保してある。
ただし、少子高齢化の影響で、会員の献金額が年々減少しており、このまま若い人が入ってこなければ、10年後には活動範囲を縮小しなければならないかもしれない。

49ページにキリスト教系の大学の一覧が示されて、人気のある有名ミッション系大学もあるのに、信徒は増えない。
日本でクリスチャンが増えない理由はいろいろと指摘されているが、「ゴリヤクがない」ということも一因と言われている。
イエス・キリストを信じても、お金持ちになれるわけでもなく、病気が治るわけでもなく、志望校に合格するわけでもない。

やはり宗教は、現世の利益追求ではなく、「魂の救済」 を目的にしたものではないだろうか。

特集記事の最後、63ページに、それでも宗教が果たすべき役割はあるという島薗進・上智大学教授のインタビューが掲載されている。

島薗教授は、上智大学グリーフケア研究所の所長でもある。
研究所のHPは次の通り。
www.sophia.ac.jp/jpn/otherprograms/griefcare/index.html

また、興味のある方は、日本キリスト教団出版局の雑誌 「信徒の友」9月号の特集、「病と信仰 神はどこにおられるのか」 も併せて読んでもよいだろう。

インタビュー記事では、初めにオウム真理教を含む暴力的な宗教団体について振り返り、そして最近では、社会転覆を謀る発送よりも、個々人のスピリチュアルな思考を中心にしているところが多いという分析を紹介している。

島薗教授が懸念しているのは、日本会議に代表される、右派の国家主義的主張をする勢力の台頭である。
現代は、IS(イスラム国)やトランプ大統領の支持基盤と言われる草の根保守など、排他的な右派が出やすい時代だという。

最近の道徳教育の変化を見て、私も危惧を抱いているため、右派の台頭についての記述を引用しよう。

【よく日本は無宗教というが、終戦までは天皇陛下の前に深くぬかずつという時代だった。そうした戦前の国家主義的な思考が日本には根強く残っている。日本人は軽く見がちだが、宗教と政治はかなり大きく重なりやすいと自覚する必要がある。】

私は最近のブログ記事で、宗教の教員免許を取得しようという気持ちが生じていることを書き、教会で数名の方にも相談しており、牧師とも今後の生き方について相談するつもりだ。
日本は教育基本法の改悪も含めて、じわじわと右傾化しており、このままでは基本的人権も無視されるような社会になりそうだ。
そのため、理科と宗教の2分野の教員免許を持つ私が、キリスト教系の学校で生徒たちを守る防波堤になるべきではないかと考えている。


記事では最後に、宗教こそが果たせる役割の1つとして、医療とケアの分野を挙げている
人口減によって集団としての力は落ちても、文化的な影響力はある程度維持されると予測しており、宗教の重要性を意識している学生もいる。

特に医療の現場では、死生学的な側面や緩和ケアの重要性が高まっており、自然科学では対応できない精神性の役割がより大きいと見られている。
宗教者が医療やケアなどの異なる分野で活動することも増えている。
上智大学のグリーフケア講座の受講生は、約4割が看護師だという。
患者の死に立ち会うこともある看護師は、ケアにおいて宗教の重要性を理解していると思われる。

記事の最後の部分も、そのまま引用しよう。

【経済発展期の宗教は、富の拡大と個人の幸せを重ね合わせて考えてきた。両者間に距離を取ることができないのが弱点だった。これからの宗教は一般の社会生活にかかわりを持つのが自然で、宗教こそが果たせる役割があると感じる人は増えている。

私も教会の中で、科学者と宗教の関係や、障碍者の姉、そして骨髄バンクでのドナー体験など、キリスト教の視点から話をする機会があったが、教会の外にいる人々に対して、現時点では残念ながら、ほとんど発信していない。

教会での礼拝を中心とする伝統的な信仰生活を重視する人もいるが、私は元々高校教員志望だったためなのか、教会の外でイエス・キリストの言葉を必要としている苦しんでいる人のそばで活動すべきだと思っている。

それならば、社会活動を積極的に行っている教会に移籍すればいいと言われそうだが、日曜日は今の教会の活動をして聖書に向き合い、平日は一般の社会生活の中で、必要とされる所へと派遣されるという信仰生活が合っていると思う。

このまま翻訳者として80歳まで働くのか、それとも55歳前後で非常勤講師になるのか、あるいは博物館などの職員となるのか、または大学の聴講生として神学を学ぶのか、どの道が示されるのか、毎日問いながら生活しよう。


私の姉が障碍者ということで、先祖の祟りだという人もいたし、遠くに住む親戚を訪ねたときは、「親戚に障碍者がいると島中に知られると困る」と、訪問を快く思っていないことを告げられたこともある。

姉の分も、私は二人分勉強するつもりで努力して、博士号を取得してドイツ留学もしたが、「姉が障碍者なのに、弟が博士などあり得ない」と信じない人もいた。

それでも、辛い体験をした近所の方が、毎日楽しそうに生活している姉を見て、「まるで、ひまわりみたいに明るい人だ。こんな人に出会えてよかった」 と、母に伝えた。
ダウン症の姉が癒しの賜物を持っていることが示され、これが私のキリスト教信仰のコアを形成する1つになっている。

教会で姉のことを話したとき、ヨハネによる福音書第9章の「生まれつきの盲人をいやす」を引用した。
神に対して罪を犯すと、本人やその子孫に病気や障碍がもたらされると考えられていた。
しかし、イエス・キリストは、「神の業(わざ)が現れるためである」と、まったく異なる価値観を提示した。
この言葉に救われた障碍者とその家族の話を聞くこともある。

詳しい話はここでは省略し、それぞれが神の業とは何かを考えるきっかけにしたい。

ヨハネによる福音書第9章1~5節
1 Und Jesus ging vorüber und sah einen Menschen, der blind geboren war. 
2 Und seine Jünger fragten ihn und sprachen: Rabbi, wer hat gesündigt, dieser oder seine Eltern, dass er blind geboren ist? 
3 Jesus antwortete: Es hat weder dieser gesündigt noch seine Eltern, sondern es sollen die Werke Gottes offenbar werden an ihm. 
4 Wir müssen die Werke dessen wirken, der mich gesandt hat, solange es Tag ist; es kommt die Nacht, da niemand wirken kann. 
5 Solange ich in der Welt bin, bin ich das Licht der Welt. 

1 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
2 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
3 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。
4 わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。
5 わたしは、世による間、世の光である。」

sündigen 自動詞 (haben 支配) (…に対して)過ちを犯す: gegen <wider> Gottes Gebot sündigen 神のおきてにそむく
Werk n. -es (-e) / -e 行い,行為,所業;(神の)みわざ

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