2018年11月

昨年2月、母からの仕送りに依存していた弟に、仕送りの最終期限を通告した。
それが要因なのかどうかは不明だが、今年の社会保険労務士試験に合格した。

昨年は、1科目のみ合格基準に1点足りなかった。
今年ダメなら説得して、市役所の就労支援で相談させて、物流関係や農業の仕事を探すようにと、突き放すつもりだった。

試験に合格しても、社会保険労務士として登録するためには、2年間の実務経験が必要だ。

しかし、就職氷河期に大学を卒業した弟は、単純労働のアルバイトの経験しかないため、どこかの事務所に就職したり、民間企業の総務で採用されることもないだろう。

年金相談などをしているNPOもあるが、職員を募集しているかどうかは、問い合わせてみないとわからない。
諦めずに探し続けてもらわないと、社会保険労務士なのに生活保護申請になってしまう。

ということで、75,600円を払って、指定講習を受講させることにした。
弟は金がないとのことで、本日7万円を振り込み、その他の事項も含めた手紙を速達で送った。

これで安心ということではないが、少しは前進したのかもしれない。
私が来年、教会の役員に選出されたら、弟の面倒をみる暇はなくなるだろうから、少しは楽になったと思うことにしよう。

今年のイースター前後に話題となっていた、キリスト教関連の映画である 「パウロ 愛と赦しの物語」 を観た。
paul-love-movie.tumblr.com/

11月3日の初日は、町内会の用事があったので断念し、その後も別の用事があって、なかなか予約できなかった。
今日は、ハイキングにするか、それとも映画を観るのか迷ったが、教会で話題にするためにもパウロの映画にした。

聖書の話をそのまま再現したというよりは、ローマ帝国によって迫害されているキリスト者たちの葛藤を描き、その困難な状況の中で神を信じられるのか、現代社会にも通じる永遠のテーマを提示していると言える。

皇帝ネロの時代にローマ大火があり、キリスト教徒が犯人とされ、パウロは首謀者として逮捕されたとされている。
獄中のパウロをルカが訪ねて、パウロによって福音がどのように広まったのかを書き記すことになる。
その書物が使徒言行録にまとめられるわけだが、この映画のメインテーマとしては、「愛」に重点が置かれている。

迫害されているキリスト者の中には、ローマに対して復讐を望む者も出てくるが、パウロ以外にもアキラやプリスカなどが、暴力に訴えてはならないと説得する。

しかし、神に祈ったとしても、迫害が終わることはなく、平和な街に戻るのかどうか、将来のことは神から何も示されない。
そのような困難の中で、敵である看守の娘を病から救うために、キリスト者たちは薬などの必要な物を分け与えた。

敵を愛し、迫害する者のために祝福を祈るという、イエス・キリストの教えを実践することを通して、福音が徐々に伝えられることになる。

この隣人愛の実践は、ドイツのアンゲラ・メルケル首相を見れば、いかに困難なことかがわかるだろう。
そもそも、隣人愛の実践などできないと、その罪を告白する方がキリスト者らしい態度である。
それでも、神の命令に従って祈りながら努力するのが、信仰生活なのかもしれない。

DVDが発売されてから、教会で希望者に回覧するか、個人的な上映会を行って、隣人愛について語り合う機会を持ちたいものだ。

キリスト者はそれぞれ、好きな聖句をいくつか持っているものだ。
私の場合、箴言第4章がその1つで、特に11~12節は、
私の葬儀で読んでほしい個所である。
新共同訳から引用して紹介しておこう。

箴言第4章
11 わたしはあなたに知恵の道を教え まっすぐな道にあなたを導いた。
12 歩いても、あなたの足取りはたじろがず 走っても、つまずくことはないであろう。


パワハラに遭ったり、失業したり、仕事が変わって収入が減ったり、弟に仕送りすることになったり、人生とは、いばらの道を進む困難なことばかりのように思えるが、神が備えてくださった正しい道を信じて歩むならば、必ず報われる。

私の性格なのか、聖書の中でも箴言が好きだ。
その通りの生活をしているわけではないが、信仰生活の規範として参考にしている。

昨日21日に読んだ箴言は、日々の聖句(Die Losungen)にあった箴言第16章8節(Sprüche 16,8)である。
今週大騒ぎになっている巨額報酬のニュースに関連させながら読んだ。

箴言第16章8節
Besser wenig mit Gerechtigkeit als viel Einkommen mit Unrecht.
(訳例:義によってわずかなものを得る方が、不正に得た多くの収穫にまさる。)

稼ぎが多くても正義に反するよりは 僅かなもので恵みの業をする方が幸い。


Gerechtigkeit 女性名詞 - / -en 1 ((単数で)) (gerecht なこと) 正義,公正,公平;正当〔性〕;[聖書] 義.
「正義」とは、社会倫理的意味のものではなく、神との正しい関係という神学的意味で用いられる。

「正義」というとき、人は自分の価値観・倫理観を尺度にして考えることが多い。
それでは他人を裁くことになってしまう。
ここでの「正義・義」とは、「神の目から見て正しいこと」であって、人間側の価値観や都合は無関係だ。

収入が多い方が生活は楽かもしれないが、仕事の充実度・やりがいの方が、お金よりも優先することがある。

仕事を通じて、社会に貢献していることが実感できるとき、神から与えられた地上での使命を果たしていると感じて、収入が少なくても、神に用いられているという恵みに感謝できる。

そして、正当に得た収入が多かったのであれば、寄付などを通じて社会に還元して、互いに助け合い、連帯する社会を作ることも、神が望んでいることかもしれない。

(最終チェック・修正日 2018年11月21日)

ヨーロッパでキリスト教の勢力は減少しているが、それでも聖書の知識が、翻訳には必要になることがある。
有名な聖句が、慣用句として使われることもあるからだ。

聖書は様々な言語に翻訳されていて、日本語聖書として、私の教会では新共同訳を使用している。
聖書の研究と共に、古代のヘブル語やギリシャ語の研究も進んでおり、最新の成果を盛り込んだ新しい翻訳も求められている。

ドイツでは、ルターの宗教改革500年を記念して、ルター派神学者が中心となって2015年に改訂版が刊行された。
ルターが犯した誤訳を修正したり、ルターのオリジナルの表現に戻したり、またその逆に現代人に理解しやすい表現に変えたり。

同時期に、日本語聖書の翻訳を見直していることも報じられており、2017年に新日本聖書刊行会が「新改訳」を刊行した。
そして来月12月上旬には、日本聖書協会が「聖書協会共同訳」を刊行する。
私の教会では、まだ新翻訳を使う予定はないのだが、今使っている新共同訳の後継である、聖書協会共同訳を購入する予定だ。

この聖書協会共同訳は、本日届いた「通訳翻訳ジャーナル」2019冬号の PICK UP TOPICS の最初で紹介されている。
【現代を生きる私たちに、そして次世代へも神の言葉を伝えるべく新たに翻訳された聖書。通訳者、翻訳者は向学のためにぜひ目を通したい一冊である。】

訳語として、注釈がないとわからないような、いわゆる聖書用語が、平易な日本語になっていることも特徴だ。
「嗣業」という言葉を聞いても、最初の頃は何のことかわからなかったが、「相続地」であれば、教会に初めて来た人にもわかるのではないだろうか。

紀伊国屋書店 BookWeb ではまだ登録されていないため、12月まで待ってから初版割引価格で購入したい。
教文館やバイブルハウス南青山では注文を受け付けているが、紀伊国屋ポイントとauポイントが欲しいので、ぎりぎりまで待つことにする。

へブル語とギリシャ語の勉強をする時間がほとんどないため、現在は逐語訳聖書を参照しており、ルター訳も含めたドイツ語聖書2種類と新共同訳を使って比較しながら学んでいる。
ここで紹介しているように、元は同じなのに、翻訳によって印象が変わることがあるので、今後は聖書協会共同訳も含めて並べて比較したいものだ。

ただし、キリスト者として聖書は霊的に読みたいので、語学の参考文献という扱いにはならないように注意したい。
様々な資料にあたるときも、和訳で表現しきれなかった原語のニュアンスを確認した後は、神からのメッセージとして受けとめ直す作業を心掛けたいものだ。


追記(11月21日):
本日昼に紀伊国屋BookWebに登録されていたので、続編付きを注文した。
発売日は12月10日になっている。
続編はプロテスタントには関係ないのだが、ルター聖書にはあるので、参考にするために続編付きにした。

教会ではいつも、キリスト教の伝道に励もう、と言っているのだが、職場の同僚や友人を招いたり、バザーを開催して近所の人たちと交流したり、クリスマス劇で観客を集めても、信徒が劇的に増えることはない。

今はネットの時代ということで、教会ホームページを魅力的なものへ改善しようとしているが、そのプロジェクトもなかなか進まない。
来年度4月に新ホームページに移行して、首都圏への転居者や大学進学者などの目にとまるようにしたいものだ。

仕事をしていると、手が空くのが日曜日のみで、伝道活動もなかなかできないわけだが、それでも現在の状況で可能な限りのことをしたいと考えている。
このブログで、「聖書でドイツ語」というコーナーを作ったのも、自分にできる伝道活動の1つとしてだ。
取り上げている聖書の言葉は断片的ではあるものの、それをきっかけにして、聖書を手にする人が増えることを願っている。

そのような地道な活動をしていたところ、今月は翻訳の仕事で、イエス・キリストの物語について和訳した。
予期していないことであったが、仕事でも伝道に関わることができるのではないかと感じた。

資金力のある団体は、街頭で聖書を配布したり、絵本も含めて様々な聖書の物語の冊子を作成して、各地で伝道に利用している。
日本でも配布しようということなのか、英語の冊子について和訳の仕事を受注することになった。

マリアの受胎告知から始まり、十字架上での死、そして復活まで、聖書の言葉を引用しながら、イエス・キリストの生涯をわかりやすく説明している。
そして信仰の重要な要素として、イエス様は私たちの罪を赦すために犠牲になられたことを強調している。
また、関連する旧約聖書の言葉を引用して、その預言が成就したことも説明してあり、伝道にふさわしい冊子だと思う。

既に洗礼を受けた信徒にとっても、イエス・キリストの恵みを再確認することにつながるので、この冊子を読むことを勧めたい。
その点でも、この翻訳の仕事が私に来たことは、クリスマスプレゼントだったのではないだろうか。
神から与えられた賜物を活かすことができたという喜びもまた、クリスマスの時期にふさわしいものだろう。

日本語の冊子が配布されても、手にした人が私の教会に来るとは限らないが、イエス・キリストの恵みが一人でも多くの人に伝えられるのであれば、そのことを喜びたい。

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