このブログでも何度か書いてきたが、原発推進派・電力会社の信用できない点として、
不安感を持たないように細工された言葉遣いや、数値の取り扱いがある。
最近の 「制御棒脱落」 という報道があるが、
原発関係者は 「制御棒引き抜け事象」 と、別の表現を使う。
特に数値の取り扱いでは、放射線量などが、なるべくゼロに見えるように細工することが多い。
3月20日に開かれた原子力委員会定例会議の議事録を見た。
http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2007/siryo13/siryo3.pdf
プルトニウム利用計画の議題があり、各電力会社から説明があった。
その中に、核燃料再処理の計画や、プルトニウム保有量について出てくる。
例えば東北電力では次のように説明している。
[プルトニウム所有量でございます。平成19年度に8トンの再処理を行う計画でございます。
18年度末までに約0.0トン、キログラム換算で23キログラム、
平成19年度に0.1トン、キログラム単位で66キログラム、
合計で、平成19年度末に約0.1トン、キログラム換算で89キログラムのプルトニウムを
同工場に所有するということの予定でございます。]
別の資料でプルトニウム保有量予定の一覧表を見たことがあるが、
そこでは 「トン単位」 で表記されていて、「キログラム単位」 ではなかった。
「0.0トン」 だとか、「0.1トン」 と書いておけば、
あまり注意していない人ならば、「ゼロに近い小さい値」 と誤解するだろう。
それに66kgから89kgに増えても、どちらも 「0.1トン」 のままで、増減は不明。
しかも、「約0.0トン」 という数値を、キログラム換算すると 「23kg」 となるなら、
これは科学での数値の取り扱いの基本である、有効数字という概念を無視している。
彼らはいつも、「科学的議論をしましょう」 と言っているが、数値の扱いは違うようだ。
たいていの国民は日常生活では、詳細なキログラム単位の報告資料を確認したり、
今回のような議事録を読んでまで、各電力会社の保有量を確認したりはしない。
確かに詳細な保有量は公開されているから、推進派は、「別に隠してはいない」 だとか、
「そんなに知りたければ自分で探して読めばいい」 などと言うだろう。
だが、それでもしつこいくらいに指摘したいのは、
「0.0トン」 と、ゼロに見える数値に意図的にするな、ということだ。
不安感を持たないように細工された言葉遣いや、数値の取り扱いがある。
最近の 「制御棒脱落」 という報道があるが、
原発関係者は 「制御棒引き抜け事象」 と、別の表現を使う。
特に数値の取り扱いでは、放射線量などが、なるべくゼロに見えるように細工することが多い。
3月20日に開かれた原子力委員会定例会議の議事録を見た。
http://aec.jst.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2007/siryo13/siryo3.pdf
プルトニウム利用計画の議題があり、各電力会社から説明があった。
その中に、核燃料再処理の計画や、プルトニウム保有量について出てくる。
例えば東北電力では次のように説明している。
[プルトニウム所有量でございます。平成19年度に8トンの再処理を行う計画でございます。
18年度末までに約0.0トン、キログラム換算で23キログラム、
平成19年度に0.1トン、キログラム単位で66キログラム、
合計で、平成19年度末に約0.1トン、キログラム換算で89キログラムのプルトニウムを
同工場に所有するということの予定でございます。]
別の資料でプルトニウム保有量予定の一覧表を見たことがあるが、
そこでは 「トン単位」 で表記されていて、「キログラム単位」 ではなかった。
「0.0トン」 だとか、「0.1トン」 と書いておけば、
あまり注意していない人ならば、「ゼロに近い小さい値」 と誤解するだろう。
それに66kgから89kgに増えても、どちらも 「0.1トン」 のままで、増減は不明。
しかも、「約0.0トン」 という数値を、キログラム換算すると 「23kg」 となるなら、
これは科学での数値の取り扱いの基本である、有効数字という概念を無視している。
彼らはいつも、「科学的議論をしましょう」 と言っているが、数値の扱いは違うようだ。
たいていの国民は日常生活では、詳細なキログラム単位の報告資料を確認したり、
今回のような議事録を読んでまで、各電力会社の保有量を確認したりはしない。
確かに詳細な保有量は公開されているから、推進派は、「別に隠してはいない」 だとか、
「そんなに知りたければ自分で探して読めばいい」 などと言うだろう。
だが、それでもしつこいくらいに指摘したいのは、
「0.0トン」 と、ゼロに見える数値に意図的にするな、ということだ。