来月の教会での会合で、隣人愛について考えていることを話す予定だ。
ルターが言った 「受洗者皆祭司(万人祭司)」 の実践というわけではないが、自らの信仰の歩みについて、会員と共有することは大切だと思っている。

今回は、試練のなかで隣人愛を実践したかどうか、そしてその苦しい時期に骨髄バンクでドナーに選ばれて、強い心を取り戻したことを話す。

隣人愛の1つの側面である他人を助けることはできるかもしれないが、もう1つの 「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」 という神の命令は、ほとんど不可能であるため、自分が罪人であることを知ることになる。

ただし、それは自己嫌悪につながるのではなく、このような罪深い私でも、イエス・キリストがそのまま受け入れてくれることに感謝して、神にすべてをゆだねる信仰の生活につながる。

この 「隣人愛」 について考え始めたのは、英語の副読本でマザー・テレサを知ったことと、バチカン放送の日本語番組を聞いたことが関係している。
バチカン放送には、悪人を赦せるはずがないという趣旨の手紙を送ってしまった。
そのときの手紙が、1年程後に、カトリック関係のパンフレットなどに掲載されたようだ。
カトリック広報委員会から届いたのだが、当時の封筒のみ残っていて、中身がどこかに行ってしまった。

気になるので、カトリック中央協議会や女子パウロ会にメールで問い合わせたが、手かがりはなかった。
半ばあきらめて、手紙を送った当時のバチカン放送のアナウンサーであった石野シスターに、洗礼を受けた経緯などを含めたメールを転送してもらった。

すると、シスターから返事があり、何度かやりとりをしたところ、直接お会いしてお話できることになった。

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地下鉄千代田線の乃木坂駅から地上に出て、乃木神社の前を通り過ぎると、やがて「聖パウロ女子修道会」の案内看板が見えてくる。
細い坂道を進んでいくと、写真で示した入口に到着する。

受付がある建物に向かうと、玄関近くにいたシスターがドアを開けて迎えてくれた。
背が高い男性が訪問することを伝えてもらっていたため、受付の方はすぐに気づいてくれた。
面談用の部屋に通され、数分後に石野シスターとお会いすることができた。

最初はバチカン放送のことや、私がどこの教会に行っているのか、どうしてその教会を選んだのかなどを話した。
そして本題の、隣人愛について教会で話す内容を簡単に説明した。
いろいろな試練があったものの、いつも神様の見守りの中にあったことを、シスターも理解して、更に励ましてくれた。

バチカン放送の話をしている中で、私の手紙が掲載された出版物とは、「バチカン・リスナーズ・ニュース」 ではないか、ということになった。
年に4回発行していたそうで、番組表の他に、司教や神父などからのメッセージが掲載されていた。
もしかすると、リスナーからの手紙を紹介するコーナーがあったかもしれないとのことだ。

カトリック系大学の図書館にはなさそうなので、短波放送のファンが残していれば、どこかで見つかるかもしれない。

来月の会合では、シスターの話も少し加えて、会員が喜ぶような話をしたいものだ。