カテゴリ: ブログについて

大型連休の読書で、最初に読み終えたのは、4月発売の光文社新書
中川淳一郎著、「ウェブはバカと暇人のもの - 現場からのネット敗北宣言」 である。
http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334035020

【私はニュースサイトの編集者をやっている関係で、ネット漬けの日々を送っているが、
とにかくネットが気持ち悪い。そこで他人を「死ね」「ゴミ」「クズ」と罵倒しまくる人も気持ち悪いし、
「通報しますた」と揚げ足取りばかりする人も気持ち悪いし、アイドルの他愛もないブログが
「絶賛キャーキャーコメント」で埋まるのも気持ち悪いし、ミクシィの「今日のランチはカルボナーラ
(*^_^*)」みたいなどうでもいい書き込みも気持ち悪い。うんざりだ。

――本書では、「頭の良い人」ではなく、「普通の人」「バカ」がインターネットを
どう利用しているのか? リアルな現実を、現場の視点から描写する
。】

目次は次の通り。

はじめに バカを無視する「ネット万能論」
第1章 ネットのヘビーユーザーは、やはり「暇人」
第2章 現場で学んだ「ネットユーザーとのつきあい方」 
第3章 ネットで流行るのは結局「テレビネタ」
第4章 企業はネットに期待しすぎるな
第5章 ネットはあなたの人生をなにも変えない

この本は、皮肉がいっぱいだが、それはネットに過剰な期待を持つなと、強く忠告するためだろう。
集合知ではなく 「集合愚」 と呼ばれる状況は、四字熟語で言えば、「玉石混交」 というわけだ。
確かに、単にクレームをつけるネタを探して罵倒するだけの行為は、何も生み出していないし。

本書を読んで、自分のネット利用状況やブログ作成の意味を、この連休中に少し考えてみようと思った。


以前は連絡手段というと直接会うか、手紙、電話、電報、FAXであったが、今は何でも電子メールだ。
職場の連絡も、回覧するよりは、メーリングリストを利用すれば即座に完了する。
会議室の変更もすぐに連絡できるので便利だ(ただしメールを見ないオジサン社員は困るが)。

図書館に行かなくても論文を検索できるし、電子ジャーナルでダウンロードできるから楽になった。
以前は海外の新聞を読む機会は少なかったが、今では電子版がPDFで提供される定期購読もある。

翻訳でも、ネット検索があるから調査もはかどるし、オンライン辞書の利用で解決した訳語もある。
仕事や個人的な趣味の調査では、必要な情報を図書館に行かなくても得られるのは便利だ。
ネット上の情報が全て正確とは言えないものの、一日中図書館で探すよりは時間も節約できる。

ネットバンキングや通販など、平日昼間は本業で忙しい私には、便利なサービスも増えてきた。


そしてブログは失業をきっかけに始めたのだが、書くという行為は気持ちの整理には役立ったかもしれない。
ただ、私の失業・転職の話や、読んだ本や記事のメモなど、一部の人以外にはどうでもいい内容だ。
特にドイツ語用例集など、最後まで読む人は数人に限られるだろう。

私は資料の明示をすることが多いので、リンク集の一つなのかもしれないが、信頼性は保証していない。
私の記事を引用したブログや掲示板の書き込みも見られるが、主張の根拠に使われることは本意ではない。
中には、私の主張とはまったく逆の意味で引用していることもあり、これは読解力を疑う例になるわけだ。

また、センシティブな話題、捕鯨・原発・英語教育などでは、過激なコメントが投稿されることもある。
一日200件程度のアクセス数しかないのに、存在を否定するためか、しらみつぶしのように攻撃してくる。
(最近はツイッターで取り上げられることもあり、アクセス数は500~1000件/日となっている。)


ネット上で議論するつもりは最初からないので、粗探しや勘違いコメントをする人を相手にする時間はない。
そんな人を相手にするよりは、合成法の改良を考えたり、外国語の勉強をする方が大事だ。

攻撃・非難以外にも、以前もコメント欄で記事作成を要請したり、掲示板のように自由に使う人がいた。


まあ、回答してもいいかなと思ったコメントには返答しているが、その回答に対して何もないのも失礼だ。
批判コメントにまじめに応える必要はないとも言われるが。
これは年齢や立場など無関係に、その時に思ったことをただ書き込んでいる人が多いという証拠だろう。


関連書籍として、連休中に読む予定の新書は、ちょうど正反対の内容と思われる
ベスト新書の樋口裕一著、「読ませるブログ - 心をつかむ文章術」 である。

(最終チェック・修正日 2010年02月23日)

Yahoo!ブログの新サービスとして、ブログ記事を本にできるようになったそうだ。
Yahoo!ブログからのお知らせは次の通り。
http://blogs.yahoo.co.jp/y_j_blog/6132239.html

興味があったので、書庫「ドイツ語用例集」がどのようになるのか試してみた。

「ブログ設定」のところで、「ブログを本にしよう!」というバナーをクリックすると、
ブログ本の作成サービスの説明が出てくる。

これに従って書庫を選び、そしてリンク先で会員登録をしてファイルを提出し、見本が届くのを待った。
手続きから数分すると、PDFファイルとなった見本がダウンロードできた。

しかし内容を確認すると、ドイツ語の特殊な文字が全て消えていた。
ということは、日本語入力しか受け付けないということか。

FAQを見てみると、ドイツ語に関しては載っていないが、
中国語・韓国語の文字についての質問があった。
http://bizpal.jp/mybooksdev/FAQ/00064

中国語や韓国語の表示は可能ですか?

いいえ

日本語フォントのみをサポートしているため、中国語や韓国語などの文字は、
PDFの表示および印刷ともに、表示されません。
あらかじめご了承ください。】

「中国語や韓国語など」 とあるので、ドイツ語もだめというわけだ。
他にもノルウェー語やアイスランド語の記事もあるが、当然だめだろう。

ということで、このブログにためているドイツ語用例集は、
カード型データベースなど別の形式で、どこかにコピーしておこうと思う。

私は翻訳をしているためか、あるいは幼少期にいじめられたからなのか、言葉に対して敏感かもしれない。

あるメーカー研究所で派遣社員として働いていたとき、次のような社内メールに違和感を持ったことがある。
「最近、中途採用者や派遣社員が増えたため、実験室での事故が増えてきました。」

また別のメーカーでは、上司からのメール本文には、「よろしく」 と一言だけあり、
他には特許のPDFファイルが添付されているだけで、「丸投げメール」 と呼ばれていた。

コミュニケーション研修をしているはずの企業内でも、誤解を招くような表現をするのだから、
このブログも含めて、ネット上の匿名掲示板などでは、ネチケットを忘れた表現が多いことだろう。

年末年始の休暇中に、本棚の整理をしているのだが、岩波書店の次のような本が目に留まった。
デジタル社会の日本語作法」(井上史雄、荻野綱男、秋月高太郎 共著、2007年)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/4/0240230.html

【電子メールで拝啓・敬具は変か? メールの返事はいつまでにすればいいか? そもそも「メールで返事」は
失礼か? 等々…メールやケータイが普及して約 5年.だがデジタルツール上の作法をめぐる悩みは尽きない.
迷ったときにはどうするか? 言語学者が〈コミュニケーションの原理〉から説き起こして考え方の基本を指南.】

この本は、「絶対にこうしろ」 と命じるものではなく、マナーについて考える出発点として有益だ。

「この本のねらい」 には次のように書かれている。

【ケータイやメールによるやりとりは、ここ10年か20年のうちに急に広がった。ところが、基本的な
マナーや作法が、行き渡っていない。だから人によって考え方、受け取り方が違って、ときには不快感を
与え、ときには誤解を引き起こす。
 困るのは、迷惑をかけている本人が、人に言われないと気づかないことだ。このあたりは、きちんと
書き記して、一般の人の関心も引き起こさなければならない。そんな考え方から、この本は生まれた。】

章立ては次の通り。

序章 デジタル社会の作法
犠蓮.妊献織觸仞は澄 檗.瓠璽觝酲,猟婿?
蕎蓮.妊献織觜堝囲澄 檗|模辰箸靴討療纏劵瓠璽
珪蓮.妊献織觸餞箆澄 檗‥纏劵瓠璽襪龍時的構造
絃蓮.妊献織詈限力澄 檗.院璽織ぅ瓠璽襪凌係席鍵戝彗里畔?
江蓮.妊献織訝模地澄 檗‥纏厂閏膽腟舛虜酲
詐蓮.妊献織詆集熟澄 檗.妊献織覿?屬鯢睛靴垢襪海箸个肇灰潺絅縫院璽轡腑
讃蓮.妊献織訛佻地澄 檗.ぅ電からケータイへ
湿蓮.妊献織觀標賚澄 檗.妊献織觴匆颪侶桧嬋集
従蓮.妊献織觝酲]澄 檗.瓮妊アの中の人間関係
終章 電子メールとケータイによる情報革命

電子メールに関する記載が多いのだが、表現方法についてはブログでも共通することがあるだろう。

ここでは字数の都合で、まとめとして書かれた 「従蓮.妊献織觝酲]澄廖,涼罎ら、
「2 日本社会が共有するコミュニケーション原則」 を取り上げたい。

【日本社会はいくつかのコミュニケーション原則を共有している。 … 相手の立場に立ってものを
考えるということである。 … デジタル社会では、知り合いの輪が急激に広がることがある。新たな
友達の輪とでもいうのだろうか。ここでも、持ちつ持たれつの原則にのっとり「お互い様」精神で
仲良くやっていきたいものである。】

【コミュニケーション原則はデジタル社会でも変わらないと考えた方がよい。ネット社会では、新しい
人間関係(顔を知らない親友のような場合)がありうるので、現実社会とは違う面もある。しかし、
コミュニケーションは人間どうしで行うものであるから、原則を簡単に変えてはいけないし、また実際
変わらないものであろう。】

敬語を使うことや、相手への配慮など、古臭いと感じることもあるかもしれないが、
良好な人間関係を作るという観点から、日本的なコミュニケーション原則も見直したいものだ。

このブログを始めたのは、2回目の失業がきっかけであった。

再就職の活動をする中で、これまでの経緯や自分のスキル、そして労働について、
冷静に考えをまとめるためにも、「書く」 という行為が役立つと判断したからだ。

その後は翻訳関係や環境問題など、日々思ったことのメモとして、あれこれと記事を書くようになった。
過去記事を振り返ると、2年前にはこんなことがあったなと確認でき、現状を反映した新規投稿につながる。

このブログは単なるメモであり、論文でも解説記事でも評論活動でもないので、明確な結論がないこともあり、
記事を読んだ人から見れば、引用やリンク先の列挙に過ぎなかったり、期待はずれの記事もあるだろう。

「ただのメモなら公開するな」 と、読んだ時間が無駄だったと言いたい人もいるかもしれないが、
例えばポスドクの就職問題では、共通点のある人に知ってほしいこともあり、あえて公開を選択している。

ある記事へのコメントで書いたが、ブログを 「個人経営の小さなカフェ」 という比喩で表現した。

【例えば個人経営の小さなカフェを利用していると想像してください。
このカフェには新聞や雑誌の他、マスターが選んだ外国の話題を翻訳したフリーペーパーも置いてあります。
そしてマスターは趣味で翻訳していても、自分が紹介した記事についてお客さんの反応を見るのが楽しみです。
マスターが忙しければ、お客さん同士で話していてもかまいませんが、最初からマスターを話題の環から
外して他のお客さんに質問して回っていれば、迷惑客だと思われてしまうでしょう。
また、カフェの一角にはお知らせコーナーがあり、お客さんがポスターやチラシを貼っています。
それでもマスターの許可が必要ですから、カフェの雰囲気を変えてしまう場合は認められないでしょう。
これがコメント削除に相当します。】

この意識が、個人開設のブログと、ヤフーなどの公開掲示板との違いであると、私は認識している。

アクセス制限やコメント欄の使用制限も可能だが、それは私の主義ではないので、
利用者には、「ネチケット」 と 「ヤフーガイドライン」 の尊重を期待している。

そのネチケットだが、ブログ管理者と利用者のマナーについて、次のように説明されている。
http://www.net-manners.com/blog/blog-kanri/
http://www.net-manners.com/blog/blog-user/

ここではコメント欄の使い方について引用しておこう。

【自分の所に書いてもらった場合、返した方が書いてくれた人は喜びます。出来るだけ返す事をお勧め
しますが、宣伝的なものは無視するか削除してしまいましょう。逆に人のブログに残す場合、短い挨拶と
記事のコメントやサイトの感想を書くと喜ばれます。間違っても全く関係の無い事を書いたりはしない様に
削除されても文句は言えませんよ。あからさまな宣伝や「来てください!」と言ったものは嫌がられます。
「アクセスランキングに参加していますので、絶対押して下さい」こんなものは論外です、削除か無視
されるのが関の山です。どんな場合でも言えますが、自分でされたら嫌な事は他人にもしてはいけません。
自分の所にこんなコメントが残っていたら嫌じゃないですか?】


【管理者と利用者・・ではなく、利用者同士がブログ内で揉めている場面が時々見られます
揉める内容は様々ですが、大抵は記事の内容についての議論、荒らし、管理者への批判で占められています。
利用者の方は良かれと思って行っているかもしれませんが、管理者からすると両方迷惑です。理由は何にせよ、
その人達が揉めている所為で周りの人や管理されている方が嫌な思いをしているのは変わりません。
お邪魔したお宅で揉めているのと同じです、その家(管理者)の人には迷惑以外の何ものでもないですね。
熱くなりすぎないで穏便にいきましょう。どうしても揉めるなら自分のサイトで行って下さい、
荒らしなら放置しておけば良いのです。現に管理されている方もスルーしていると思いますから。】


このブログでも、他のブログでも、訪問者が持論を書きなぐったり、思ったことをそのまま書くなど、
ブログ管理者とのコミュニケーションを求めていない、もっと言えば、喧嘩を売るような表現もある。

他人の家に来て、「庭の手入れが悪い」 だとか、「置物の趣味が悪い」 などと言っているようなものだ。

今は小中学生へのネット・リテラシー教育が求められているようだが、
実はネチケットも含めて、教育すべきなのは全年齢層にわたっている。

マナーを知らない人がどの世代にも一定割合いることは、買い物や観光、車の運転でも経験する。
銭湯や温泉、サウナに行けば、汚れた体を洗わずに湯船にいきなりつかる人も見かける。
インターネットが普及した現代に、ネット上だけ例外ということもない。

加えて、これまで個人の意見を発表する場が限られていた世代にとっては特に、
他人のチェックを受ける前に自由に発言できるネットは、待ち望んでいたメディアなのかもしれない。

コンピューターメーカーやプロバイダは、ネチケットについて知らせているかもしれないが、
もともとマナー意識のない人にとっては、他人の忠告などどうでもよいことなのだろう。

これからもいろいろと起こるかもしれないが、落ち着いて対処するようにしたいものだ。

先週、同じタイトルの記事を 「ファンのみ公開」 で投稿したが、ある理由で非公開に変更した。
そこで内容をぼかした形で、再度投稿することにした。
何を言っているのかわかりにくい部分もあり、歯がゆいと思うが、それは理解してほしい。


このブログでは、ドイツでの報道を紹介することがあるが、その続報を探していた。
日本語で取り上げているサイトを検索していたところ、ドイツ在住者が投稿した記事を見つけた。

そしてその記事を読むと、ドイツ語や英語での報道を紹介するリンクが、私のブログ記事と同一だった。
その記事では、ドイツ語報道を5つ紹介していたが、最初の2つは私の記事での順番も一致していた。

ここで疑問に思ったのは、私が示した英語記事の一つ目は、ドイツ国際放送の記事であり、
国外向け放送局の記事について、ドイツ在住者がアクセスする可能性は低いのではないかということだ。

私のブログ記事を読んだドイツ在住者が参考にして、ドイツ発のニュースを投稿したのではないか。

記事前半では日本の報道を批判しており、海外の重要な報道が日本で紹介されないことを指摘していた。
それならば、私のブログ記事を引用して、報道機関よりも先に紹介したことを明示してほしかった。

記事の引用リンクをコピーされたくらいならば我慢できるが、
検索でヒットしたはずの私のブログ記事を、無視して記事を書くのはマナー意識が問われる。

そこでその情報サイトの管理者に、ドイツ在住者に対して問い合わせを依頼した。
つまり、私のブログ記事を知っていたのか、知っていたのならば引用を明示してほしいと。

ただし管理者からは、私のブログを見て記事を投稿したという疑惑をぶつけることは、
ドイツ在住者の名誉に関わることなので、できないとの返答だった。

そこで何度かやり取りをして、注として、私のブログを引用することとなった。
そしてその引用について、後日、ドイツ在住者に連絡することになった。


その後、あることをきっかけに、そのドイツ在住者が、このブログにコメントを投稿していたと判明した。
そして、様々な情報をつなげていくことで、ドイツ在住者=コメント投稿者の実名も判明した。

経歴を読むと、30年近くもドイツに住んでおり、環境関係の情報を提供する仕事をしているそうだ。
ドイツ語の関係資料については、和訳をして提供している。

ということは、私の過去記事とは独立に、ほぼ同時にドイツの新聞報道などを読み、
そして、同じテーマで記事を書いていたと思われる。

ドイツ語がわかるならば、わざわざ私のブログからリンクをコピーしなくても、自分で探せばいいのに。


このコメント投稿者は私に、資料がドイツ語のみの場合に、日本で議論に利用できるのかどうか質問した。
英語の資料が存在するかどうかも私に質問していたから、この人はドイツ語がわからないと思っていた。

更に最近のコメントでは、ドイツでの報道について調べて記事にしてほしいとあった。
ドイツ語を理解し、和訳サービスまでしているならば、私の記事で確認しなくてもいいはずだが。

もし別の視点での記事を知りたいのであれば、そのように正直に言ってもらった方がいい。

なんだか利用されただけのようで、少々不愉快な気分が続いている。

今後もコメントが続くだろうが、こちらのペースを乱さないように対応しようと思う。

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