カテゴリ: 聖書でドイツ語

従属接続詞 da には、主文に先行する理由・原因を表す副文を導く用例が多い。
しかし他にも、相反・譲歩の副文を導く場合、そして今回取り上げる、時の副文を導く場合がある。

時の副文を導く場合は古い用法であるが、雅語なので聖書には出てくる。

da II 接 ((従属)) 3 ((時の副文を導く)) a) ((過去時称の文で)) ((雅)) (als) (…した)とき<当時>に

詩編139編16節を引用しよう。

Luther 2017:
16 Deine Augen sahen mich, da ich noch nicht bereitet war,
und alle Tage waren in dein Buch geschrieben, die noch werden sollten.


新共同訳:
16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
  わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
  まだその一日も造られないうちから。


聖書協会共同訳:
16 胎児の私をあなたの目は見ていた。
  すべてはあなたの書に記されている
  形づくられた日々の まだその一日も始まらないうちから。


接続詞 als で書き換えることができ、例えば、Schlachter 1951 では als を使っている。

Schlachter 1951:
16 Deine Augen sahen mich, als ich noch unentwickelt war,
und es waren alle Tage in dein Buch geschrieben, die noch werden sollten,
als derselben noch keiner war.

中性名詞 Herz(心、心臓)は、特殊な格変化をする。
左側に示した一般的な弱変化の他に、「心臓」の意味の場合、医学では右側に示した強変化となる。

     弱変化    「心臓」(医学)
1格 das Herz    das Herz
2格 des Herzens   des Herzes
3格 
dem Herzen   dem Herz
4格 
das Herz    das Herz

今回は2格の弱変化 Herzens の例を引用する。

マタイによる福音書第5章8節(心)
Luther (2017):
8 Selig sind, die reinen Herzens sind; denn sie werden Gott schauen.

新共同訳、聖書協会共同訳:
8 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

知恵の書第2章2節(心臓)
Luther (2017): 
2 .. Denn der Atem in unsrer Nase ist nur Rauch und unser Denken nur ein Funke, der aus dem Pochen unsres Herzens entsthet.

新共同訳:
2 .. 鼻から出る息は煙にすぎず、 人の考えは心臓の鼓動から出る火花にすぎない。

聖書協会共同訳:
2 .. 我々の鼻の息は煙にすぎず 思考は我々の心臓の鼓動から出る 火花にすぎない。

noch の接続詞としての用法の1つに、weder … noch … や nicht … noch … などの形での否定表現がある。

独和大辞典第二版(小学館)の説明は次の通り。

noch II 接 ((ふつう weder … noch, nicht … noch … などの形で否定詞として))
(…でもなく)…でもなく:
1 ((並列;語句と語句を結ぶ)) weder klug noch schön sein 利口でもハンサムでもない
 (注:所有している2刷と8刷では、weder klng ~ と誤植である。ここでは klug に修正して記載した。最新刷での修正について、小学館に問い合わせ済み。)

2 ((副詞的;主語を同じくする文と文を結ぶ)) Weder habe ich davon gewußt, noch habe ich es geahnt.
 そのことについては聞き及んでいなかったし,予感もしなかった.

ここでは 1 の並列の接続詞の用例について、本日1月25日のローズンゲンから引用しよう。
イザヤ書第40章28節から。

Luther 2017:
28 Weißt du nicht? Hast du nicht gehört? Der HERR, der ewige Gott, der die Enden der Erde geschaffen hat, wird nicht müde noch matt, sein Verstand ist unausforschlich.
疲れることもなく、弱ることもない

新共同訳:
28 あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。
 主は、とこしえにいます神
 地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
 倦(う)むことなく、疲れることなく
 その英知は究めがたい。


聖書協会共同訳:
28 あなたは知らないのか 
 聞いたことはないのか。
 主は永遠の神
 地の果てまで創造された方。
 疲れることなく、弱ることなく
 その英知は究め難い。

今週はアドヴェント第3週で、来週はクリスマスだ。
世間はいろいろと騒がしいが、この世の闇を照らす光として来られたイエス・キリストの御降誕を静かに祝いたい。

イエス・キリストの呼び名として、「神の独り子」というものもある。

ドイツ語では、der eingeborene Sohn Gottes(最後の Gottes は省略されることが多い)。

形容詞 eingeboren は、原典のギリシャ語からの翻訳借用である。
ドイツ語の Wikipedia を参照してほしい。
de.wikipedia.org/wiki/Eingeborener_Sohn

クリスマスに読みたい聖句として、例えば、ヨハネによる福音書第3章16節を引用しておこう。

Luther 2017: 
16 Denn also hat Gott die Welt geliebt, dass er seinen eingeborenen Sohn gab, auf dass alle, die an ihn glauben, nicht verloren werden, sondern das ewige Leben haben.

聖書協会共同訳2018:
16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

日々の聖句・ローズンゲンのサイトから、誕生日の聖句をメールで送ってもらった。
私が生まれたことと直接の関係があるとは思えないが、特別な日に神から与えられた言葉として記憶しておきたい。

なお、ローズンゲンに使われているルターの聖書は、私が生まれた当時使われていたものなので、最近のものとは表現が異なる。

旧約聖書からは、歴代誌上第23章25節の一部で、ダビデの最後の言葉。

Luther: 25 Der HERR, der Gott Israels, hat seinem Volk Ruhe gegeben.
聖書協会共同訳:25 イスラエルの神、主はその民に安らぎを与え(る。)

このダビデの最後の言葉は、神殿の奉仕を行っていたレビ族に対するものだった。
そして私は生まれたその日に、将来は教会で奉仕する者として、神に選ばれたのかもしれない。

新約聖書からは、エフェソの信徒への手紙第6章23節の一部。

Luther: 23 Friede sei den Brüdern!
聖書協会共同訳:23 平和が、きょうだいたちにありますように。

聖書での平和は、イエス・キリストによりもらたされる平和である。
そして異邦人の私も招かれていることは、エフェソの信徒への手紙全体を読むと理解できるだろう。

ここでは第2章19節を引用しておこう。
19 ですから、あなたがたは、もはやよそ者でも寄留者でもなく、聖なる者たちと同じ民であり、神の家族の一員です

このローズンゲンが与えられた意味について、時間があるときに、牧師に聞いてみよう。

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